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第181話

 文維(ぶんい)の車の助手席で、込み上げる笑みを抑えられない煜瑾(いくきん)がいた。 「どうしました?」  こちらも温厚な笑顔でハンドルを握りながら、ニコニコする煜瑾に話し掛ける。 「だって…。文維が『いつか堂々と迎えに行く』と言ってくれたら、本当にこうして2人でこの門を出られました。文維と一緒なら、なんでも出来るのだと思いました」  嬉しくて堪らないという表情の煜瑾が、文維をも幸せにする。 「本当に、静安寺(せいあんじ)のアパートまで?」 「他にどちらに?」  清純な煜瑾に、文維の(よこしま)な考えは伝わらないようだった。 「いえ、あのアパートで独りぼっちでは寂しいでしょう?」  それを聞いた途端に、煜瑾は笑顔を消した。そして、すぐに頬を赤らめ、俯いた。 「あ、あの…。そのことですけれど…」 「何ですか?」  分かっているようなのに、文維は素知らぬ顔をして運転をしていた。  困った煜瑾は、ちょっと唇を噛んで、チラリと恨めし気な流し目を送った。 「今夜は…、文維に泊まって欲しいのですが…」  文維は何も言わずに、ちょっと眉を動かした。 「できれば…あの…」  言いにくそうな煜瑾に、文維は客室に泊まって欲しいと言われるのだと思っていた。  過去のトラウマを告白し、前に進もうとしている煜瑾だが、いくら文維に心を開いているとはいえ、それ以上先に進めるほど傷は癒えていないと文維は判断していた。 「私の寝室に泊まって欲しいです」 「え?」  思わず文維はブレーキを踏んでしまった。急停車に煜瑾の体が振れ、慌てて文維は右腕を伸ばして煜瑾を支えた。 「だ、大丈夫ですか、煜瑾!」  ちょうど広い公道で、後ろから来る車両も、対向車も無かったので、文維の急ブレーキが誰かの迷惑になることは避けられた。  それでも文維は激しく動揺している。 「私は、大丈夫です…。文維は?」  心配そうに煜瑾は、自分の方に伸びた文維の腕をギュッと掴んだ。 「ああ、大丈夫。問題ありません」  引きつったような笑顔を浮かべ、文維は何とか煜瑾の顔を見た。  無邪気な、ただ文維を心配するだけの煜瑾は、清らかで愛らしい。こんな煜瑾が、今夜自分の寝室に文維を誘って来るとは、誰が想像できるだろう。 「え~っと、私の聞き間違いでしょうか?」 「はい?」  何の迷いもない純真な瞳で、煜瑾は文維を見返すが、文維はどう受け止めていいのか戸惑っている。 「つまり…。私は、今夜、煜瑾のアパートに泊って良いと?」 「…は、…はい…」  恥じらいから、また俯いてしまう煜瑾が、どこか誘惑的な気がして、文維は焦る。 「そして…、私と同じベッドで寝て下さいね」 「!」

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