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第198話

 唐煜瓔(とう・いくえい)に先導され、煜瑾(いくきん)文維(ぶんい)と並んでリビングに向かいながら、幼い頃のサンルームでの思い出を語って聞かせた。 「それでね、私は床に画用紙を置いて、絵具で絵を描いていたのですが、あまりに温かくて気持ちが良くて、そのまま寝てしまったのです。それが絵の具の乾いていない絵の上に寝てしまったので、顔も髪もお洋服も絵の具で汚れてしまって…」  楽しそうに話す煜瑾に、文維も包み込むような優しい笑みで相槌を打つ。それだけで、2人の睦まじさが分かるような、穏やかで、和やかな光景だった。 「あぁ、明るくてステキな場所ですね」  思わず文維も声に出した。  唐家の家族しか入れない最奥のリビングのその先に、陽の光をいっぱいに取り込んだ眩しいようなサンルームがあった。  その真ん中に大きな丸テーブルが用意されている。  煜瑾と文維には、あまりにも明るく輝くようなその場所が、2人を祝福する輝かしい聖地にも見えた。 「退職に関する一切の手続きは、()秘書に任せてあるので、今後は彼女としっかり連絡を取り合うようにしなさい」 「はい、分かりました。お兄さま」  今日は、ランチだけあって軽めに、ということだったが、煜瑾の好きなフルーツサンドや、オレンジのスコーン、イチゴのミルフィールなども並んだ、アフタヌーンティー風のメニューが並んでいる。チョコレートも、菫の砂糖漬けがのったウィーンから取り寄せた煜瑾の好物だ。  メインディッシュは、柔らかく煮込まれたタンシチューで、シチューというよりもタンステーキかと思うほどのボリュームだ。添えられたフランスパンも、今朝、唐家の厨房で焼かれた楊シェフの自家製だった。 「それで、(ほう)家の皆さまはお元気で?」  唐煜瓔は、いかにも社交辞令風に口にしたが、それは煜瑾と文維の関係を、文維の実家がどのように捉えているかの偵察のようなものだった。 「今夜は、この後、文維のご両親のお家でお夕食をいただくのです」  煜瑾はその問いを待っていたかのように、明るく無邪気に答えた。それが煜瓔の神経に触ったであろうことは、文維は察していたが、悠然と微笑むだけで何も言わない。 「お義母(かあ)さまのお作りになるお菓子はとっても美味しいのですが、実はお義父(とう)様のお料理も、とっても美味しいのです」 「それほど頻繁に?」  文維の両親が2人ことを反対している様子は無いと聞いていたが、それほどに煜瑾が受け入れらているとは煜瓔も知らなかった。  もちろん、美しく、純真で、聡明な煜瑾は誰からも愛されるのは煜瓔もよく分かっている。なので、包文維の母である恭安楽(きょう・あんらく)が煜瑾を慈しんでくれるのは本当だと思う。しかし、母親というものが、息子の恋人が同性であることを、そうも簡単に受け入れられるのだろうか、と煜瓔は心配するのだ。 「すでに両親には、私が煜瑾と一生を共にするつもりであると打ち明けました。煜瑾は、私にとって生涯でたった一人のパートナーだと、伝えてあります」  それまで黙っていた文維が、毅然とした態度でそう言った。 「文維がそう言ってくれた時、文維のお父様もお母さまも、驚かれなかったので、私の方がビックリしました」  煜瑾はそう言ってクスクス笑った。大げさに考え、2人の仲を反対した兄を笑っているようにも見えるが、無垢な煜瑾がそんなことを考えるはずが無かった。 「それよりも、お義母さまに大歓迎されて、とっても嬉しかったです。私には今『お母さま』と呼べる方がいらっしゃるのです」  幼い頃に両親を喪った煜瑾にとって、兄がどれほどの愛情を注ごうと、やはり母親の愛情には憧れがあったに違いない。  多くの愛情に囲まれて、幸せそうな煜瑾に、煜瓔はそれ以上何も言うことが無かった。

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