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5 邂逅編 里へ

「先生? これは逆に渡りに船なんじゃない?」  思わせぶりな笑みを浮かべたジルにセラフィンは静かに頷いた。現実主義者のセラフィンでも流石にこれはどういった運命の巡りあわせなのだろうと思わずにいられなかった。  二人がこの旅で訪ねていこうとしていた場所がまさにこの少年の言う『ドリの里』だったからだ。  セラフィンとジル。こんな片田舎では目立つほど華やかな気配をまとった中央の若者らしい二人は、この地にとある目的があってやってきた。  休暇を使ってこの地を訪れたのは全くのプライベートだ。本来ならば目的地であるドリの山里まで今日中に移動しておきたかったのだが、都会の若者らしく目算が甘く1日一本しか出ないバスが出てしまった後で移動手段が手詰まりになっていた。  この基地に寄ったのは時間調整も兼ねた全くの偶然と言っていい。 「利用できるものは積極的に利用しよう。これで所長に軍用車を借りる交渉もしやすくなったな」  軍で大きな力を持つ親友の甥っ子であり、彼自身も軍の関係者。中央の都で軍と一部は民間にも開放された大病院に務める医師でもある。所長にしてみたらかなり扱いに困る相手だろうとの自信がセラフィンにはあった。しかも連れは非番とはいえ中央の警察官。  今回の幼気な少年にしでかした部下の不祥事を黙っている代わりに(もちろん所長権限での厳罰は望んだが)まんまと旅の足である車と医薬品を沢山手に入れ二人は満足げだ。  泣き疲れて放心し、ぐったりとしたヴィオを後部座席に乗せると、運転席にジル、助手席にセラフィンが乗り込んで出発前に地図を確認しなおした。  2人は日頃はここからは汽車と乗り合いバスを乗り継いで半日はかかる中央の都で仕事をしている。セラフィンは軍の病院の医師、ジルは警察官。悪友ともいうべき友人同士で、今回は長らく休みが合わなかった二人が奇跡的に勝ち取った短い休暇だった。  二人はこの数年、休みが合うとこうして観光地ではない場所に目的があって小さな旅をしてきた。ヴィオの里でもあるらしい『ドリの里』はいつかは来てみたいと思っていた場所だ。中央からはけして近くはないが、国内の中では僻地というほど遠い位置でもない。中途半端な田舎だったのでやっと足が向いたといったところだ。実際近隣の中では大きな町だという基地のあるこの場所も、10年前の中央の周囲の街よりも栄えていない寂れ方だ。  車を出そうと思ったらセラフィンに借りた上着をぶかぶかに着こんだヴィオが、縋るような顔つきでミラー越しに二人を見つめているのが映っていた。 わが身を抱きしめ小さく縮こまっている。子犬がくうんっと声を上げているような幻聴が聞こえる程、その様は幼気で頼りなげな様子だ。 「あまり車に乗ったことがない? 怖いのか?」  こくっと大きく頷いたヴィオは口を真一文字に結んで下を向いてしまった。 その様を見て助手席から無言で降りたセラフィンが後部座席に移ってヴィオの薄い肩を抱くのを、やれやれといった顔でみた。 (いやに親切で、なんだか妬けちゃいますよ。先生)  内心大人げなくそんなことを思ってから、気を取り直してジルは元気に宣言する。 「出発進行! 田舎道はガタガタゆれるから気分が悪くなったら早めにいってくださいよ」  ヴィオは車に酔うというよりは、初めてのスピードに驚いて身を固くしているようだった。道々話を聞くと、バスにすらほとんど乗ったことがなかったらしい。  ヴィオは生まれてこの方、ほぼこの地域から出たことがなく、学校にまともに通っていない。今は村の中で家族に読み書きを教わっている程度なのだそうだ。隣の街に小さな学校はあるが、ヴィオたちの里と街のものたちとの折り合いが悪くなってから通うことができなくなったのだそうだ。  それが隣り街で薬を買えなかったことにも関係していると睨み、ジルは胸を痛めていた。  ヴィオは街の中の看板は難しくて読めないものばかりで、周りの大人に声もかけられずに薬屋を探せなかったと恥ずかしそうにぽつりぽつりとセラフィンに教えてくれた。  中央で学校に通えない子はこの10年、どんなに貧しいうちでも皆無だ。しかしこうした田舎の村では今の世の中でも学校に通えない子がいると、そういった話を聞かなくもない。しかしここは僻地というほどでもない場所だし、先ほどの街にも小さいが学校はあったはず。それなのに実際に見聞きすると中央育ちのジルも豊かな外国で育ったセラフィンもなかなかのカルチャーショックだ。  しかしこれから向かう里のある悲劇を知っている二人は、余計な詮索はせずに黙ってヴィオの話を聞いていた。  ヴィオは自分がへとへとになりながら歩いてきた道のりをあっという間に引き返してこられていることに感動しつつも、こんな夜遅くまで大胆にも出歩いてしまったことに今さらながら里にいる家族の反応を思い胸がどきどきした。 しかし今もきっと苦しんでいる叔母を思えば自分がしたことにもちろん後悔はない。どんなに父に怒られようとも、それがものすごく怖くてもちゃんと罰は受けるつもりだ。それでもやはり、気持ちは少し落ち着かずに身体がこわばる。  それを察したようにセラフィンが肩をぎゅっと抱いてくれていたから、寄りかかった胸の温かさでヴィオはうつらうつらとし始めた。 (暖かい。この服も先生も、いい匂いがする)

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