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番外編 青年期 ポスターの肖像 11

『夕飯もお届けにあがりますから、2人で仲良く待っていてくださいね』 とマリアは昼食の準備すら済ませてから、孫を甘やかす祖母の様に二人にチュッチュッと口づけをしてから時間通り迎えに来たモルス家の車に乗り込んで戻っていった。 「強烈なおばあちゃんでしたね」  扉の前からバスローブ姿で振り返る、家主の如く家に馴染んだジルに、セラフィンはやや苦笑する。 「まあ、流石にな。子どもの頃面倒を見てもらった人だ。無下にできない。さんざん心配をかけたから余計にな」 「心配?」 「まあ、俺はとにかく、家族皆の心配の種ってやつだ。今をもってしてもな」  定職につき、しかも医者。成人した立派な息子に見えるが、貴族ともなるとジル達庶民の様にはいかないのだろう。  二人そろって行儀よくマリアを見送ってから明るいリビングに戻ると、掃除のときに邪見にされてマリアを苦手とするソフィーがひょっこり戻ってソファーに座っていた。  ソファー周りはマリアが朝から整えたので二人そろって座れるようにすっかり綺麗になっていた。 「休みの日は前の日にしっかり断っておかないとマリアが朝晩と2度くるからな。お前が昨日俺を飲みになど誘ったりするから断りの電信を入れそびれた。お前も責任を取って夕食に参加しろよ」 「あんなに美味しいお食事にありつけるなら是非。そもそも俺の服もまだ帰ってきてないですし」  ジルはそんな風に実に飄々と答えてソフィーを高く抱き上げて、ソファーで脚をばたばたする姿など、この間まで学生だったのだなあという明るい元気さを振りまいている。 「なんていうか、お前って不思議な奴だな」  どちらかといえば四人兄弟の末っ子で人見知りをする方のセラフィンからしたら、ジルの人懐っこさは脅威に値する。8年も暮らしたテグニ国は中央より、さらにお国柄が陽気で文化も進んだ明るい国ではあったが、それでも短期間にこれほどセラフィンが心を許した者はいなかった。年下の従弟たちがもしかしたらそれにあたるかもしれないが、彼らは子どもで遠慮がなかっただけともいう。 (いや、こいつのこういう子供みたいな屈託のなさのせいかもな) じっと自分を見つめてくる色香溢れる顔に、ジルは照れたように少しだけ目をそらした。 「俺にしてみたら先生は不思議と神秘の塊。俺は先生のことがもっと知りたいな。昨日の晩その、まああんなことになって余計に知りたくなった」  あんなこと、の台詞にセラフィンが悪戯っぽく微笑むものだからジルはまた変に期待をしてしまう。 「なにを? なんでも応えてやるよ。もうなんか昨日のあれで俺は吹っ切れた。……このところ、正直仕事もどうでもよくなってきてて、何のために軍で医者なんてし始めたんだろうって思うことも多かった。あの演習から帰ったらやめてしまってもいいかなと思ってたんだ」 「どうして? 先生腕のいいお医者さんなんでしょ? 沢山の人を助けてあげられるのに」 「それは俺がこの仕事をはじめた動機が不純なものだから。研究職にはついてみたいと漠然と考えてたけどそれは人を助けたいとかそんないいことじゃない。どちらかといえばただの私利私欲」 「私利私欲?」 「そう。医者なら頭も生かせるだろうし。親戚には軍人多いから潰しがきくだろうし。俺はたった一つ手に入れたいものがあってそれが手に入るなら他はすべて付属品。でもそれは手に入らなかったから付属品だけ手に入っても何の意味もない」 「それは……」 (昨日泣くほど恋しそうにしてた相手のことですか?)  セラフィンは疲れ果ててこぼした涙と自分では考えたいたのだが、すごく切なそうな顔をしていたのがジルの脳裏には焼き付いていた。 口まで出かかった問いは、セラフィンが被せ気味に声をかけてきたことで飲み込まれてしまった。 「まあいい。夜までも時間がある。真昼間だが、少し酒でも飲むか?」 「はい。休日最高ですね」  独り身の悠々とした部屋片隅に、バーカウンターを作ってもよかったのだが対して酒を嗜むわけでもないから、適当に食器棚の隣に並べるように置かれた酒瓶からブランデーを取り出して、ジルにも運ばせると、またそろってソファーに戻ってきた。  2人で並んでどかっと座り、しっぽでたまに二人を揶揄うようにはたきながら行き来するソフィーに和まされる。 「先生、昨日酒場のあれはなんだったの? みんなが倒れたあれ」 「あれは、いわゆるアルファの牽制フェロモンってやつだな。従来はオメガを取り合う時に恋敵のアルファに向けて放つやつだ。誰でも出せるわけじゃないらしい。俺はちょっと理由があって…… フェル族のアルファを倒したくて、古今東西色々な文献を当たってきた」 「そりゃ無謀ですね。フェル族のアルファ倒せる人は熊を素手で倒せるぐらいじゃないと。あ、素手じゃ普通熊は倒さないか」 「……基本素手で倒そうと思ってたが、まあいい。それでまあ、俺は調べ物が好きで、色々な国のアルファやオメガの生態やフェロモンについて調べたんだが、そうしたら自分自身のアルファ性としてのフェロモンを高めるためにとある木の実を食べてそれを強化しているという部族がいるとわかって、試しに食べてみようと」 「それ! 面白いですね! 俺も食べたい」 「後で食べさせてやる。……旨くはないぞ。その木の実は幸い留学先の国は輸入されているもので、いわゆる精力剤にも使われるような類のものではなくてどちらかといえばベータ女性の妊娠中の滋養強壮に食す類の奴だったんだが、試しに食べ続けたら、まあ結構、自分より格下相手には足腰立ってられないような牽制フェロモンを噴出できるとわかった。昔からフェロモン操るのは得意な方だったんだが」 「へー。薬効がちゃんとあるってことですね? なんか怖いなそんなの食べ続けて大丈夫なんですか?」 「それも含めてもまあ実験中。もう5年ぐらい食べてるが、体調を崩しにくくなったからまあ悪くないんじゃないか? テグニ国でもこの容姿だと無駄に絡まれることが多かったから、リコの道場に通って格闘技を習っていたんだが、ある時、病院の実習前に手に怪我をしてしまって差しさわりがあったからフェロモンで相手をノックアウトできるのも便利だと思ったわけだ。でもまあ、お前みたいな結構強いアルファにはあまり効かない。だからお前は多分アルファだ」  ジルはそう評されて照れてグラスを掲げてちびりと飲んで鼻の頭を掻いた。  リコは打撃と寝技どちらも行う実践的な格闘技でこれもまたテグニ国で盛んな格闘技だ。 「先生もリコやってるんですか? 見かけによらず武闘派ですね! どおりでいい感じの昨日のマウントのとり方。俺も去年からだけどリコやってるんですよ。オレの通ってる道場行きませんか? 師範はテグニ国出身で良い人ですよ」 「それはいいな。こっちに帰っていてからどこの道場に行こうか決めかねていた」 「でもまあ、なんでお医者さんなのにそんなに身体を鍛えたいのか、軍人でも軍医は今は戦時中じゃないですから前線に行くこともないですよね?」 「倒したい奴がいたんだ。信じられないほど強い相手。そいつを倒して取り戻したかった。俺のオメガを」 「先生のオメガ?」 「そう思っていた。」  寂しげな顔にジルの中で何かが急に弾けて、通電したようにつながったその名をぽろっとこぼしてしまった。 「ソフィ、さん?」  セラフィンは逃げも隠れも誤魔化しもせず、ただ大きく頷いた。

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