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番外編 青年期 ポスターの肖像 エピローグ

「そうだ。お前が言うところの『ポスターの麗人』。ソフィアリは俺の双子の兄だ」  実際この話を他人にしたのは初めてで、セラフィンは思い切ったことを話している自覚があった。アルファとオメガであったとしても、兄弟間で番関係になることは古今東西タブーだ。勿論本来口にすることすら憚れる。 「俺たちは双子の兄弟なのに、ソフィはオメガ、俺はアルファに生まれてしまった。見た目のそっくりさは、そうだな…… お前がこうしてソフィーに惹かれて俺のところに押しかけてきてしまうほどには似てる。お前? 引かないんだな」  しかしジルは何故か、何故なのかセラフィンの想いをそのまま受け止めそうなそんな予感がセラフィンにはしていたのだ。  それに誰か他人の一人ぐらい、ソフィアリに熱烈に恋をしていた昔の自分の気持ちを素直に打ち明けてみたかったのかもしれない。  ジルは甘い雰囲気の顔に、妙に男っぽい翳りの在る思慮深げな笑みを浮かべて真剣にセラフィンを見つめ返してきた。  その真摯な顔つきにはセラフィンもなにか胸を掴まれ、どきっとするほどだった。 「引きませんよ。別に何訊いても。人を好きになること自体は悪いことじゃないでしょ? やっぱり、あのポスターの人は先生の双子の兄弟だったんですね」  予想通り、ジルは軽蔑するでもなく、あきれたり嫌悪したりもせず、ただひたすら事実としてそれを受け止めてくれた。それにはセラフィンもひどく感慨深いものを感じていた。自分と同じくポスターのソフィアリに恋をしていたというこの男に、鏡合わせの様に何も言わずとも自分と心通じる何かがあるのではないかと、そんな期待がそうさせたのだ。 「似ているか? お前から見て。俺たちは」 「初恋の記憶を揺さぶられるほどには似てます。先生に出会った瞬間、少年の頃焦がれた気持ちがあの香りと一緒に蘇ってきて、胸が高鳴るのを抑えられなかった。先生も、あのポスターの人も。綺麗なだけじゃないんです。ポスターの麗人はなんというか本当に女神様みたいな超越した美がある。あの青い目。何か物問いたげで心のすべてを見透かされているような。 でもとっかかりはそこなんですけど、今は俺多分。先生個人に惹かれてるんです」  面と向かって年下の男性からそこまで言われたことはなく、セラフィンの心は思いがけずとくんっと波打った。それがセラフィンを透かしてソフィアリのことをみているとわかっていても、昨晩の熱い記憶も脳裏に焼き付いていて少しだけ落ち着かない気持ちになってしまって。酒に手を伸ばした。 「何というか…… ポスターに似ていたのもあるけど、先生の、少し寂し気なところ、胸がぎゅっと絞めつけられた。なんといえばいいんだろう、この感じ。言葉で言い表すのは難しいな……。俺自分がアルファかもしれないとはね、流石にわかってました。でもあのポスターの麗人にはもう番がいるってわかったら、自分がアルファかどうかとか、もうどうでもよくなってしまって。俺がアルファでポスターの麗人がオメガだったらこんな奇跡ってない! すごい! って思ったのに蓋を開けてみたら番がいて、それがすごく寂しくて苦しく感じた。なのにこうして面影を求めてしまうのって何なんでしょうね。たんに諦めが悪いだけかもしれない。取り留めない話をして、すみません。俺、もう酔ってるのかな」  日が高く上がってきて眩しい程の休日。ソファーで寛ぐ二人の会話は取り止めがなく、しかしそれを互いに心地よく思うのだ。ソフィアリを通じて二人は不思議なつながりを互いに感じあい、それが居心地よくしみじみと染みいる。 「……俺もだよ。俺もなんだ。せっかくアルファとオメガに分かれたが、ソフィーは俺を番に選んではくれなかった。兄弟だからとかじゃないな。これはもう、単に振られたってことだな。でも別れた時、俺はまだ子どもで……、自分に自信があったし、諦めが悪かったから、ソフィーの番を殺してソフィーを奪い返そうと思い込んだんだ。だって、生まれてからずっと片時も離れないで暮らしてきた俺以上に、ソフィーのことを理解できる人間がいるなんてとても思えなかったし、取り戻したらいくらでもやり直せるって思ってた。ソフィーは俺に甘かったから、きっとね。俺のとこに戻ってくれるって思ってたんだ。後から知ったソフィーの番は、フェル族で軍の英雄で、多分国で一番ぐらいに強い男で。正攻法で行っては絶対にかなわないから俺は必勝法を探して、色々調べて身体も鍛えた。馬鹿みたいだろ?」 「なんかすごい。先生はひたむきなんだ」 「お前ならフェル族最強をどう倒す? 銃器の撃鉄の上がる音に反応して、素早く玉避けながら突っ込めるような相手を倒そうって時」  すごく端的にポジティブに言い換えられて、セラフィンは少しだけ目頭が熱くなって、それを誤魔化すためにわざと明るい声でばかばかしい話をするような口調に変えて酒をぐびりと飲み干した。  負けじとジルもぐびっとのんで、結構強くてむせるが、セラフィンが嬉しそうにしているからジルも嬉しくなってしまった。 「えー。でもフェル族っていってもそこまで強い人はたいしていないって聞きましたけど。警官でもあったことありますけど、結構ヘタレた先輩だし。それに軍人はともかく一般人は混血も進んでいて獣人由来とかいっても僅かに力が強い程度だって」 「まあそりゃそうだ。おれもリコの道場で何人かフェル族と対戦したことあるけど、寝技でも打撃でも勝ったし」 と、セラフィンが固辞するように腕まくりして晒した二の腕は滑らかに白くはあるがかなり太く、立派な筋肉で覆われいてジルは瞠目した。正直とても医者の腕には見えなかった。 「先生? 昨日もフェロモン出さなくてもあの親父に喧嘩でも勝てたんじゃ?」 「だから、手を怪我するわけにはいかないだろ。拳潰したくないし。仕事柄」 「なんだそれ」  そのあとは二人でフェル族のアルファを倒すにはどうしたらいいのかという半分与太話をああだこうだと酒を飲みながら話し合ってすっかり意気投合してしまった。フェル族最強の戦士は仮想でも倒すのは困難で結論は出なかったが、こんな話をするような相手に出会ったことがなかったセラフィンは故郷を追われてから実に10年ぶりぐらいに気分爽快になった。  しかしまあ、困ったことがあり、ジルは今度はポスターの麗人に代わって、生身の人間であり、少し癖のある、美しいセラフィンに対して熱を上げ始めてしまったようなのだ。結構酒を飲んでしまってべろべろになって、またもや昨晩ぐらいの高まった気持ちのまま、熱心にセラフィンを口説いてくるのだ。 「やっぱいい、俺、先生好きだ。アルファ同士、男同士でも俺は構わない」 「俺は構う。結局アルファ同士はうまくいかないぞ。これも経験談だ」 「先生、人生経験ありすぎでしょ…… まあ、いいや。俺結構粘り強くいく性格なので時間はいくらでもありますよね。……で、結局先生さあ、ソフィーさんの番を倒しにいかなかったんですね? ソフィーさんがかなしむから?」  セラフィンはべろべろのジルに水を飲ませようと立ち上がると、ソフィーがお供をするようにとんと床に降り立って、困った酔っ払いのローブからむき出しに出た脛にすりすりと寄っている。  歩こうとしたら熱い手で、ぎゅっとジルに手を握られてしまった。  猫のソフィーもすっかりジルがきにいったようだが、それは困ったことに、セラフィンも同じだった。この年下のずけずけと遠慮のない、しかし気のいい青年を気に入っているだけに無下にできない気持ちが芽生えてしまった。それがまたセラフィンがジルに手心を加える結果となり、こうして握られた手を乱暴に振り払えず、内心困ってしまう。帰国してから仕事漬けで人との交流を避けてきたセラフィンに久しぶりにというか、もしかしたら初めてできた仲の良い友人になりえたからだ。手をゆっくりと振りほどきながら、セラフィンは少しだけ潤んだ目つきで自分を見上げるジルに微笑む。 「色々文献を調べたし、病院でも見聞きした。番を失ったり番から捨てられたオメガは長生きできない。番持ちのオメガが一人で発情期を越えることなど、心身ともに負担が酷いからだ。薬の進化は日進月歩だから抑制剤を処方しつづければ今の医学ならば昔よりは少しはましかもしれないが。それでも普通に生活を送ることは…… 困難だろう。いつかはソフィーを取り戻して、とかそんなこと考えていた、あの頃の俺は幼くて、自分勝手で…… 勝手にそう思っていたけど、そんなことなんの意味もない。結局俺は自分自身が一番大切で、自分を一番に愛してくれる相手が欲しくて一番近くにいてずっと俺だけに愛情を注いでくれていたそんな双子の兄を一生手に入れていたかった。でもこれはただの自己愛と変わらない。自分が一番で…… 相手の気持ちなんて全くの無視だ」 「でも結局、先生はソフィーさんの幸せを思ったからやめたってことで、それはやっぱり愛でしょ?」 「愛か…… そんな風に考えたこともなかった。お前はすごいな……。 俺と離れ離れになってすぐ、番を作ったソフィアリのことを恨んだことも裏切りに感じたいこともあったが、でも離れてみて少しずつ冷静に考えられる日も増えてきた。今でも、やっぱり恋しい。俺たちは双子の兄弟だから。どこかまだ、深く繋がっている気がしているんだ。心の根っこで。俺だけが一方的に惹かれているだけかもしれないけど」  ジルは立ち上がり、着やせしてみえるが自分と同じぐらい逞しいセラフィンの身体を抱き寄せた。香水の匂いはしないはずなのに、セラフィンの髪からも心地よい香りが立ち上る幻想を覚えてジルはすんっとそれを吸い込んだ。 「先生、いいんだよ。無理して気持ちに蓋をしなくても。好きだった気持ちにまで理由をつけて捻じ曲げなくてもいいじゃない。好きだったのには理由なんていらないんだから。俺だってポスターの麗人が好きで引きずっちゃったけど、別にだからってそれを気の迷いとかその気持ちを否定する気はないですよ。堂々と、俺たち二人ともソフィーさんが好きだったけど番にはなれなかった。でも恋したことに後悔は無かったってそれでいいじゃないですか。似たもの同士がこうして出合えたのもなにかのご縁ってことで。これからも俺と、仲良くしてください。たまにその綺麗な顔で俺にキスしてくれたら嬉しいな」 「お前は図々しすぎる」  そういってごく間近でみたセラフィンの顔は笑っていた。清々しい笑顔で、これはまたポスターの肖像とも、昨晩までの先生とも違い、少し男っぽくも何か吹っ切れた生き生きとした美しさに満ちていた。 「仕事、少し続けてみる。フェル族のことで色々と研究して来たことを書き留めた原稿もたまってきたから、せっかく調べたことだし。もう少しフェル族について調べたら本を出してみてもいいかもな。軍には留学させてもらってた恩があるから流石にすぐにはやめられないけど…… 医者の仕事は嫌いじゃないからゆっくりこれからのことを考えてみる」 「フェル族の研究か。俺もなんか手伝えることがあったら言ってください」 「いったな。ちょっと調べたいことがあるからいつかはフェル族の村にも行ってみようと思ってた。その時は…… 一緒にいくか」 「ぜひ。それで本を出したら、俺の名前でも入れてくださいね」  そう言いながら酒の勢いでまた唇を重ねようとしてきたので、セラフィンは笑いながらジルの高い鼻をきゅっとつまんでやった。 「お前、やっぱり図々しいなあ」  その後は夜にマリアがやってくるまで二人で酒瓶を何本もあけ、べろべろになるまで酒を酌み交わしてしまい、寝所にまで酒を持ち込んでゴロゴロしているところをマリアに見つかり、二人揃って説教をされたわけだが。  数年後、フェル族の里にて再び運命と呼べる出会いを得る時まで。  二人はこの奇妙な友情を育んでいったのだ。

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