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《乱される》5

 雪成は入口側となる端のカウンタースツールに腰を下ろした。真っ赤なレザーが目を引くスツールだが、座り心地もかなり良い。 「さっきアンタも身体が熱くなったか?」  小声で訊ねたため、自然と和泉と距離が近くなる。その際和泉から香った彼自身の匂いに、雪成は陶然としかけた。  甘さの中にスパイシーさも混ざる不思議な匂いだが、和泉自身の匂いだと思うと、ずっと嗅いでいたいと思ってしまう。これも魂の番(仮)が関係しているのか。否定したくても、本能がそう感じてしまっている。 「驚いた。お前もか。雪を見た瞬間に、熱が一気に脳天から突き抜けていった感じだったな。直ぐに治まったが」  何だったんだとお互いが首を傾げる。 「とりあえずジントニック貰おうか」 「かしこまりました」  和泉が愉快そうに口角を上げる。ジントニックはカクテルの中で定番となっているが、バーテンダーの腕が試されるカクテルだ。作る人間によって味が変わるものだが、定番だからこそ、その違いが大きく表れる。  和泉のあの様子からして、恐らく自信があるのだろう。雪成は楽しみにジントニックを作る和泉の姿を見つめた。 「美味いな」 「そうか、それは良かった」 「よく言う。自信ありげだったろ」  雪成が言う事に、和泉は憎たらしい程の笑みを見せる。 「バーテンダーやってたら、これは極めないとだろ?」 「まぁな」  雪成は微笑みながら頷く裏で、和泉がバーテンダーの仕事を真剣に勤めている事を知る。何かの隠れ蓑のために経営しているだけではなさそうだ。  益々、この和泉龍成という男が分からなくなる。 「ねぇ、一人?」  思考を邪魔するように声がかかり、雪成は面倒くさそうな顔を隠さず相手を見上げた。  雪成へ微笑みかけている男は、かなり自分に自信があるのだろう。スツールの背もたれにあるハンドル部分に、手を置いていて距離を近づけてくる。  自分を(メス)として見ている目が気に食わないと、雪成は男の存在を直ぐさま消し去った。 「龍、この後抜けられるか?」  雪成は和泉へと問いかける。和泉は僅かな苦笑を浮かべながらも頷く。 「あぁ、後十分程したら、スタッフがもう一人くるから大丈夫だ」 「そうか、なら外で待ってる」  雪成は半分ほど残っていたジントニックを一気に飲み干す。 「あのさ……オレが声掛けてるの聞こえてる?」  男が雪成の顔を覗き込むようにするが、雪成の中で男の存在は排除している。よって構うことなく、涼しい顔でスツールから腰を上げた。 「雪、近くのパーキングに止めてる黒のアルファードだ。中で待っておけ」  和泉からキーを手渡され、雪成は「サンキュ」と鍵を受け取る。 「あ、おい!」 「お客様、あの人には関わらない方が賢明ですよ」 「そ……」  男が言葉を呑み込んだ気配を、雪成は背中に感じながら店外へと出る。男を一瞬で黙らせる和泉に、雪成は内心で笑った。ただの一般人にはなかなか出来ないことだと。  雪成は近くのパーキングに和泉の車が止まっていることを確認すると、鍵を開けて助手席に乗り込んだ。

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