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《緊張》5
その裏に潜む何かを二人は感じ取っているが、今はどうやら雪成に全て任せてくれるようだ。
雪成は内心で二人に感謝した。
「儂の大事な妻……番でもあった玲香が死んでもう十八年が経つが、やはりオメガを蔑ろにする事を聞けば腸がこう、煮えくり返る思いがあるな」
ずっと禁忌とされてきた、菱本の最愛の妻の話。それを菱本本人が口に出すのは、恐らく亡くなってから初めてではと、雪成は驚いた。橋下も雪成と視線を交わすという事は、本当にあれ以来と言うことなのだろう。
「ずっと橋下や、雪成、皆には話してこなかったが、玲香を死に追いやった奴らの末路のことだ」
「組長……?」
橋下が心底に驚いた声を上げながらも、心配そうに窺っている。
どうして今になってと思わなくもないが、でもそれは恐らく菱本の中でようやく人に話せる程までになれたということだろう。
本当にあの事件は、悲惨で忌まわしいものだったと雪成も聞いている。
今から十八年前の夏。菱本の妻、玲香は謂わば姐さんの立場にあった。そんな彼女はいつも護衛をつけず──嫌がるため──一人でいつもの様に夕食の買い出しに出た際に、何者かに突然拉致されてしまったのだ。
玲香を拉致した人間は、中国マフィアの者だったのだが、彼らは玲香がヤクザの組長の妻だとは知らずにいたようだ。
ただ日本のオメガや女を、中国に売りさばく事が当初の目的だった。しかし奴らは玲香が美しいということで、自分たちの慰み者として扱った。
だが玲香は極道の女らしく気の強い面があり、そう簡単に大人しくしている女性ではなかった。だから男たちは玲香を薬漬けにし、身体と心の自由を奪い去ってしまったのだ。
そして玲香を散々弄んでそのまま放置し、奴らは消えた。
玲香が突然姿を消したことで、もちろん組では総動員で探した。スマホのGPS機能は、電源が切られていたため、必死に探したそうだ。
そして姿を消して二日目の夜、ようやく玲香を見つける事が出来た。目撃情報を辿ってようやく見つけた玲香は、変わり果てた姿となっていた。
大量の薬物摂取に暴行、全裸のままで放置された身体にはたくさんの生傷、痣が残っていたようだ。
「儂は気が狂いそうだった。命よりも大事と言っても過言ではない、最愛の女を亡くし、犯人を探すことに躍起になっていた。あの頃の組員には申し訳なかったが……」
「いえ、組長。我々も……我々にとって大切な姐さんを亡くしたことに、悔しくて無念でなりませんでした。奴らを直ぐにでも捕まえて、殺してやりたかったです」
橋下の拳を握り締める手に、強い力が込められているのが雪成にも分かった。それほどに悔しくてたまらないという気持ちが強く、橋下が玲香を慕っていた事も伝わった。
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