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第42話 稼ぎ頭の住まい

 近づくにつれ、男の言葉が聞き取れるようになる。 「いいでしょ、減るもんでもないし。どこかにアップしたりもしないから……」  背後から見る男の手には携帯が握られ、その画面には録画中の文字。  男のもう一方の手は、自分の股間を(まさぐ)っている。  男優、羽雨のファンか……。  独り占めして、オカズにでもするってか?  販売されてるもんで、満足しとけよ。  苛立ちよりも、面倒臭さに顔を歪めた。  2人の横を通り過ぎ、羽雨の背後へと回る。  後ろから羽雨の腰に腕を回し、その身体を俺の右後ろへと流しながら、片手で携帯のレンズを塞ぐ。 「何すん……」  手の影で何も映らない画面から、腹立たしげに顔を上げた男は、俺の見るなり言葉を止めた。 「仮想と現実の区別つかねぇの?」  俺の柄の悪さが功を奏す。  眉根を寄せ睨めつける俺に、男の足が、ずりっと下がる。 「あれは演技で偽物。撮影すんなら金取るよ?」  俺が掴んで放さない携帯を取り戻そうと足掻く男に、ぱっと手を放してやった。  男はそのまま尻餅をつき、俺を見上げる。  怯えが滲む男の目の前にしゃがみ、口を開いた。 「これ、壊されたくなかったら撮ったヤツ全部消して、お前も消えろ」  携帯を指先で小突きながら紡いだ声に、男はわたわたと、それを操作する。 「け、消したから。いいだろ?」  空になったフォルダを俺に見せながら、尻で後退(あとずさ)る男。  俺はのっそりと腰を上げ、羽雨の肩に手を回し、その場を後にした。  大通りへと向かう道すがら、羽雨が口を開いた。 「……どうも」  肩を抱く俺の手をやんわりと剥がしながら、礼を言う羽雨を見やる。 「ぁあ。恒さんに頼まれただけだから。俺、お前の“付き人”だろ? まだマネージャー的な仕事は無理だからな。ボディガードくらいの働きはしねぇと、…だろ?」  剥がされた手で、羽雨の頭をくしゃりと混ぜる。  大きな通りに出て、コンビニで下着やら歯ブラシやらを適当に買い込み、捕まえたタクシーで羽雨のマンションへと向かった。  到着した場所に建っているマンションを見上げ、俺は瞳を丸くする。 「ここ?」 「そうですよ」  面倒臭そうに相槌を打った羽雨は、すたすたとエントランスに向かう。  カードキーを翳し、オートロックの扉を開き、中へと進んだ。  目の前に広がるのは、だだっ広いエントランスだ。  左側を見やれば、コンシェルジュが常駐しており、羽雨の姿に頭を下げる。 「身分証明出来るもの、何かある?」  俺は言われるままに、原付しか乗れない免許証を羽雨に預けた。 「少し待ってて下さいね」  羽雨は、コンシェルジュの元へ赴き、なにやら話を始める。  きょろきょろするのは恥ずかしいと思いながらも、つい周りを見回してしまう。  エントランスの奥には、エレベーターが並んでいた。  外から眺めた感じでも、軽く30階はあるだろう高層マンションだ。  片腕に荷物を抱えた羽雨が戻り、口を開いた。 「暫くは、オレと一緒に行動してくださいね。キーの準備が間に合わないんで……」  羽雨は、さっき翳したカードキーを振って見せる。 「ん、あぁ……」  これまで欠片の縁もなく、予想だにしない豪勢な住まいに、俺は軽く気圧されていた。

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