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第56話 なぜ、消さなかったのか
「好きなヤツって……浅岡 明琉?」
黙って俺の昔話を聞いていた羽雨が、徐にその名を口にした。
驚きに向けた視界に、羽雨の傷ついたような瞳が映り込む。
「ちょっと前にオレ、面談行ったでしょ。その時に明琉に見せてもらったヤツだから……」
服の上から左の腿に触れた羽雨は、疲れたように息を吐く。
1週間ほど前だ。
夕飯後に、のんびりとバラエティ番組を見ていた。
「明日、ちょっと出てくる」
一緒に暮らし始めて以来、仕事の時は別行動を取ったコトのない羽雨に、改めて出掛けると告げられた。
「オレの小鳥になりたがってるコがいるらしくて、面談頼まれたんだ」
声に、テレビから羽雨へと瞳を向けた。
「どっからの話?」
問う俺に、羽雨は視線をテレビに据えたままに声だけを返してくる。
「三崎さんに直で来たオファー」
「俺も?」
“オレの小鳥”というコトは、ゲイビデオへの出演希望だと察し、演者の面接ならば俺も行った方が良いのではないかと問うた。
「いや。オレ1人で充分。頼まれたのオレだし。たまには、家でゆっくりしてなよ」
あっさりと予定を告げた羽雨は、翌日、俺を置いて出掛けていった。
あの時の面談相手というのが、“JOUR”のキャストだったのかと察した。
三崎と郭遥が繋がっているのだから、そんな話があってもおかしくはない。
「そっか。1人で行ったのは、そういうコトか……」
俺の心の傷が塞がっていないと考えた三崎に、“JOUR”に関するコトは口止めされていたのだろう。
「そう。俺が好きだったのは明琉、だよ……」
見せてもらったというコトは、明琉の脇腹には白いユリが咲いたままということだ。
なんで、消してねぇんだよ。
……ぁあ、そういうことか。
俺の力なんて、…金なんて使いたくねぇってコトかよ。
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