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第89話 雰囲気とかムードとか
オレは、腹の底から溜め息を吐く。
「次に会うとき、どんな顔して会えばいいんだよ」
片手で熱くなる顔を覆い、項垂れる。
「キスよりも恥ずかしいところ、散々見られてんだろ」
今さら照れてどうするんだとでもいうように、心底、解せないという声を放つ天原に、オレの口からは再びの溜め息が零れた。
「あれは仕事。仕事はちゃんと割り切ってるから、羞恥心とかねぇんだよ。でも、これは正真正銘、プライベート。…恥ずかしいに決まってんだろ」
耳の縁が赤くなるのを感じつつ、恨みがましい瞳を向けた。
オレと視線を交差させた天原は、ぷっと小さく、噛み殺しきれなかった笑いを零す。
「笑い事じゃねぇんだけど?」
むすっと低く唸るオレに、感情の籠らない謝罪が差し出される。
「悪ぃ、悪ぃ」
笑ってしまったコトを誤魔化すかのように、オレの髪がくしゃりと混ぜられた。
「素直なお前、マジで可愛いのな。俺の前では、素でいろよ。なんも飾る必要ねぇからな」
髪を混ぜた手が、オレの頭を天原へと引き寄せる。
頭頂部に落とされた唇は、音にならない“好き”を紡いで、オレを幸せの渦に突き落とした。
勝てる気がしねぇ……。
勝ち負けの勝負じゃないのはわかっているが、いつまでも怒っていたって仕方ない。
天原はこの先も、何でもないコトのように惚気るのだろうと想像がつく。
その度に、苛立つなんて、感情の無駄遣いだ。
天原と一緒にいると決めたのはオレなのだから、多少の羞恥は気づかないふりで、やり過ごそうと腹を括った。
「なぁ。ヤってみねぇ?」
一瞬、何を試すつもりなのかと空気を探った。
手を取られ導かれた場所が、天原の股間だった。
硬い感触が、オレの指先に触れる。
天原の突拍子のない提案に、瞬間的に思考が停止する。
余りにも直球な物言いに、1拍遅れて眉根が寄った。
「……もう少し、雰囲気とか、ムードとか」
眉間に縦皺を刻んだままに、不服気な言葉を紡ぐオレ。
「お前の誘い方だって、ムードもへったくれもなかったじゃねぇかよ」
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