89 / 97

第89話 雰囲気とかムードとか

 オレは、腹の底から溜め息を吐く。 「次に会うとき、どんな顔して会えばいいんだよ」  片手で熱くなる顔を覆い、項垂れる。 「キスよりも恥ずかしいところ、散々見られてんだろ」  今さら照れてどうするんだとでもいうように、心底、解せないという声を放つ天原に、オレの口からは再びの溜め息が零れた。 「あれは仕事。仕事はちゃんと割り切ってるから、羞恥心とかねぇんだよ。でも、これは正真正銘、プライベート。…恥ずかしいに決まってんだろ」  耳の縁が赤くなるのを感じつつ、恨みがましい瞳を向けた。  オレと視線を交差させた天原は、ぷっと小さく、噛み殺しきれなかった笑いを零す。 「笑い事じゃねぇんだけど?」  むすっと低く唸るオレに、感情の籠らない謝罪が差し出される。 「悪ぃ、悪ぃ」  笑ってしまったコトを誤魔化すかのように、オレの髪がくしゃりと混ぜられた。 「素直なお前、マジで可愛いのな。俺の前では、素でいろよ。なんも飾る必要ねぇからな」  髪を混ぜた手が、オレの頭を天原へと引き寄せる。  頭頂部に落とされた唇は、音にならない“好き”を紡いで、オレを幸せの渦に突き落とした。  勝てる気がしねぇ……。  勝ち負けの勝負じゃないのはわかっているが、いつまでも怒っていたって仕方ない。  天原はこの先も、何でもないコトのように惚気るのだろうと想像がつく。  その度に、苛立つなんて、感情の無駄遣いだ。  天原と一緒にいると決めたのはオレなのだから、多少の羞恥は気づかないふりで、やり過ごそうと腹を括った。 「なぁ。ヤってみねぇ?」  一瞬、何を試すつもりなのかと空気を探った。  手を取られ導かれた場所が、天原の股間だった。  硬い感触が、オレの指先に触れる。  天原の突拍子のない提案に、瞬間的に思考が停止する。  余りにも直球な物言いに、1拍遅れて眉根が寄った。 「……もう少し、雰囲気とか、ムードとか」  眉間に縦皺を刻んだままに、不服気な言葉を紡ぐオレ。 「お前の誘い方だって、ムードもへったくれもなかったじゃねぇかよ」

ともだちにシェアしよう!