21 / 94

第6話 虚無

「うちは飼えないんだ。うちの人、家を空けることが多いし、猫は嫌いだからダメだって」  足立はそれ以上何も言わなかった。  あんまり笑っていないので、もしかして両親とは不仲なのかなと勘ぐってしまう。  気になったけれど、 友人になって数日の自分が込み入ったことを聞くのは(はばから)れるので、そっとしておくことにした。  あっという間にキャンディーの部分が無くなったむき出しの棒を持ちながら、足立は呟いた。 「こういう所、史緒とだったら楽しめると思って。だから誘ったんだ」  先程の表情とはうってかわって嬉しそうな表情だったので、こちらも嬉しくなった。  自慢じゃないけど、生まれてこの方、話が面白いだとか、話術が巧みだとか言われたことはない。  それなのに足立は、こんな俺とここに来たいと思ってくれたのか。こんな自分でもいいんだって肯定された気がして、気持ちがとても楽になった。  ありがと、と少し照れつつも言い、キャットタワーの上の方で香箱(こうばこ)座りして寝ている、大福のような白猫の背中にそっと触れてみた。  カシミヤを撫でているみたいに滑らかで蕩けるような肌触りだ。  そのまま撫で続けていたら、大人しくしていた白猫はふと目を開け、こちらに鋭い視線を向けてから俺の手に爪を立てた。   「いたっ」  手の甲を引っかかれて、ほんの少しだけ血が出てしまった。  俺の声に反応した足立は、心配そうに俺のところにやってくる。 「大丈夫? 上の方にいる猫は警戒心が強いから、無理に触らない方がいいよ」  猫を飼ったことがない足立の方が、俺よりもだいぶ猫の扱い方に慣れているようだった。  白猫はささっと走っていき、さっきよりも高い位置に腰を下ろしてしまった。  事態を見ていた女性の店員さんもこちらにやってきて、俺の手を傷付けたことに頭を下げられてしまったので恐縮した。 「この子は、人がまだ少し怖いみたいなんです。1人暮らしの高齢者宅で飼われていたんですが、その方が急に倒れてそのまま入院してしまったので、1週間近く、餌を貰えていなかったんです」 「あぁ、そうなんですか……」  足立は気を落としたようにシュンとなった。  俺も、天井近くまで上った白猫を見て心が痛む。  仕方なかったと言えばそれまでになってしまうが、その1週間、この猫がどんな風に過ごしていたのかを想像するとやりきれない。  いつまでも飼い主を待つ姿。窓の外の景色を、この猫は何を思って眺めていたのだろう。  置いていかれた。もしかしたら、このままずっと1人きりなのかもしれない。  猫の気持ちになって考えていたら、いつの間にか自分の姿を重ねていた。  ロッカーに閉じ込められた自分。  誰にも気付いて‪もらえずに、一生ここから出られなかったらどうしよう。  目を開けても閉じても変わらない暗闇。  緊張から、少しだけ鼓動が速くなってしまう。  なんだか息苦しさも増してきた。  真綿で首を絞められているような気分になって、首を何度もさすってみたけど、つっかえは取れなかった。  そんな時にふと、背中に足立の暖かい手が触れる。 「こっちにおいで」  店員さんの目の前で躊躇なく手を引かれたのでハッと息をのんだ。  節張った手。その優しくて甘い言い方にも、身体がなんだか熱くなってしまう。  足立は俺をゆっくりとソファーに座らせてくれて、さっき店員さんから貰った絆創膏を、傷付いた手の甲に貼ってくれた。

ともだちにシェアしよう!