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第3話 甘味

 玄関もそれはそれは広かった。  うちの玄関の4倍くらい。  汚れのないまっさらなタイルを踏むのは勇気がいる。 「今日、お父さんは?」 「どうだろ。一昨日から帰ってないから、今日もいないんじゃないかな」  まるで他人の家のことみたいに言われる。  こういうことは日常茶飯事みたいだ。  高校生にもなれば1人にされても別段危険なこともないから、さほど心配ではないけれど。こんな大きな家に1人だけというのは寂しい気はする。  ソファーの向こうの大きな窓には白いレースのカーテンがひかれていた。これは母親が、かつて選んだものだろうか。  高い天井には、羽の大きい扇風機のようなシーリングファンがついていて、雑誌で見た軽井沢の別荘を彷彿とさせた。無駄に広くて、毛の長い犬がうろついててもおかしくない。 「これ、良かったら食べて」  リュックから箱を出し足立に手渡す。  手土産は家の近所の老舗洋菓子屋に売っているバターサンドにした。   「わざわざいいのに。でもありがとう、一緒に食べようか」  座ってて、と言うので窓際のソファーに腰を下ろす。  薄いカーテンの向こう側には、オリーブの木が植わったテラコッタと、玄関ポーチが見えた。  そういえば康二さんは、足立はそこに裸足で立っていたと言っていた。玄関からではなく、この窓から外に出たのかもしれない。 「さっきから何見てるの?」  向かいに腰を下ろした足立が、俺の視線と同じ方を向く。  玄関ポーチばかり見ていたから不審に思われたみたい。 適当に誤魔化した。 「広くて、いい家だなと思って。陽の光もたくさん入り込んでくるし、カーテンも可愛いなって」 「遮光カーテンに変えたいと思ってるんだけど、面倒で結局そのままだよ」 「こんなに大きいと、付け替えるのも大変そうだしね」 「このサイズだと普通の店には売ってなくて、オーダーメイドなんだ。デザインも、もっとシンプルなものにしたいんだけどね」  皿にバターサンドを出してくれたので、モソモソと口に運んだ。  お父さんのことは面倒くさいと言っているけど、お母さんのことはどう思っているのだろう。  大好きとまでは言えないだろうが、もし憎んでいるのなら、このレースのカーテンは付いていない気がする。  色々と考え込んでいる俺とは対照的に、足立は上機嫌に甘いものを口にしている。 「美味しい。これもう1つ食べていい?」  あっという間に完食したみたいで、こっちの返事はお構い無しに箱に手を伸ばした。  6個入り1500円のちょっと高級なお菓子を、6月頃まで会話をしたことがなかったクラスメイトが、8月の今幸せそうに俺の横で頬張ってる……。  そう考えるとなんだか可笑しくなって変に噴き出してしまった。  齧りかけのバターサンドを持った男は、その瞬間を目撃したようでむむっと口を尖らせる。 「悪いな、がっついてて。甘いもの久々だったから」 「ううん、違う……足立が、可愛く見えた」 「誰よりも可愛い人に可愛いって言われてもなぁ」 「だ、誰よりもって」  言葉の綾だと思うけど、そんな風に思われていたのか。  無意識に耳たぶに手をやった。 「たまに、史緒ちゃんって呼びたくなるよ」 「は?」 「……史緒ちゃん」 「……っ」

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