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第5話 絵本
「ミュージシャンもよく歌ってるだろ。ある香水の匂いを嗅ぐと、思い出したくなくても、ある人のことが意図せず思い出されてしまうとか」
「確かに」
記憶と嗅覚 との間には、特別な関係があるらしい。
ふと思いを馳せて、俺は足立を真っ直ぐに見つめる。
足立は雷が怖い理由を忘れた。
雷に匂いはないけれど、雨の匂い──例えば濡らされたアスファルトや土の独特な匂いとかで、その時を思い出しちゃうことってないのかな。
できれば今後、哀しい思いはして欲しくないから、思い出さないで欲しかった。
「史緒、本好きだからその話も読んで知ってるかと思ってた」
「だってその話、めちゃくちゃ長いことで有名じゃん。え、もしかして足立は読んだの?」
「俺も読んでないよ。でも、2階に全巻揃ってる」
「へぇ、そうなんだ」
「見てみる? 父の書斎にあったと思うけど、勝手に入っちゃおう」
それは、大丈夫なのか?
やはり心配になるが、足立がいいっていうことには、素直に頷くことにした。
階段は、途中で折り返す形になっていた。
そこに小窓が付いていて、窓からは向かいの家の赤い屋根が見えた。
それから、青い空の下の樫の木。屋外用の水道。ガラス製の表札。それらをじっと見てしまう。
なんだか無性に気になった。
どうしてこんな風景が気になるのか分からないけれど。
「史緒、こっちだよ」
階上から声を掛けられ、残りの階段を上る。
左手に1つと右手に2つ部屋があり、足立がいたのは左の奥の部屋だった。
窓際に置かれたテーブルと椅子がこっちを向いていて、その手前にソファーが向かい合って置かれていて、社長室みたいだと思った。
壁際には同じ種類のガラス扉の書棚がいくつも並んでいて、中には本やファイルなどがびっしり入っていた。
文庫本や単行本、専門誌や図鑑、ジャンル問わずたくさんの本が並べられている。なんだか、神保町の古本屋にでも来たみたいだ。
「あった」
足立は扉を開けて、上の方を指さす。
六法全書くらいの分厚いものがずらっと。
これを読破するには、まずは高校に休学届を出さなければ無理だろう。
「お父さんは全部読んだのかな?」
「いや、ここにある本、ほとんど読んでないんじゃないかな。収集癖があるんだよ。読まないのに買うなんて理解し難いけど、手元に置きたいみたいで」
物を集めたがる人ってよくいるみたいだ。
俺は興味津々に本の背表紙の文字を辿っていくのに、足立はもう飽きたような素振りを見せている。
「好きなだけ見てていいよ。俺、自分の部屋にいるから」
足立は笑んで、部屋を出ていった。
本好きな俺が喜ぶかと思って、ここに連れてきてくれたんだろう。
そうやって、さり気なくやってくれるところが好きだ。
俺は沢山の本を目の前に、飛び上がりそうに嬉しくなる。
気になった本を片っ端から手に取り、頁を捲っては元に戻し、手に取って、また元に戻す。
最後の棚にたどり着いたのは1時間くらい経ってからだった。
さすがに終わりにしないとと思い、最後は背表紙だけに目を通すことにする。
右端の奥の本は、今まで見てきたジャンルの本とは違った。
(絵本だ)
大きさの異なる絵本がぎゅっと詰め込まれている。
俺も小さい頃によく読んでもらっていた有名な絵本を取り出してみると、小さな傷やシミが付いていた。
取っておいてあるということは、思い出が詰まっているのだろう。
元に戻したとき、青色の背表紙に金色の文字が書かれた本が目に入ってきて、それに自然と手が伸びていた。
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