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第6話 薫香

 自分にも馴染みのある本──それは『はくぶつかんのよる』だった。  これも、何度も読まれた形跡がある。  さすがに、自分みたいにテープで補強したりはしていないが。  (なんか、嬉しいなぁ。俺が大好きな絵本を、足立も読んでいただなんて)  ふっと笑みをこぼしながらそれを元の場所に戻し、部屋を出た。  ドアが半開きになっている部屋を覗くと、ベッドに腰掛けてスマホを見ていた足立と目が合った。 「もういいの?」 「うん。沢山見せてもらった。ありがとう」  礼をいって、入ってドアを閉める。  足立の部屋だ…とドキドキしながら、足立の隣にいき、ストンと腰を下ろす。  ギッとスプリングが鳴った音が耳を刺激して、顔をうつむけた。  ──呼ばれた訳でもないのに、わざわざ隣に座らなくても良かったのでは……。  気付いた時にはもう遅くて、足立は大人びた表情で、こちらに少し体を寄せてきた。  黒髪から、いつものいい香りがしてきてドキドキする。 「さっきの話なんだけどさ」 「さ、さっきって?」 「プルースト現象の話。前から思ってたんだけど、史緒って石鹸のいい匂いがするよね」 「えっ、嘘っ、ごめん」  咄嗟に距離を取り、体を小さくさせながら首筋を手で押さえてしまう。  足立は愉快げにケラケラ笑ってから、また落ち着いた表情を見せた。 「いい匂いって言ってるんだから謝るなよ。それで俺、石鹸の匂いを嗅ぐ度に、史緒がハグしてくれたなとか、こうして笑って話したなとか、史緒のことを思い出すんだと思う。きっとずっと、史緒のこと忘れられないと思う」  俺も、同じことを考えていた。  足立の髪のいい匂い。例え匂いがなくても、いつでも足立のことを思い出してしまう。  ずっと遠くから見ていた。  話したかった。けれど傷つきたくなくて逃げ回って、井の中の蛙で、足立は俺になんか興味ないんだって自己完結をして。  足立が世界は広いことを教えてくれたのだ。  俺だって、ずっと忘れられないに決まっている。足立とこうして一緒にいること。 「忘れないで、ほしいな」  俺は泣きそうになりながら、そう口にしていた。  必死さは出さなかったつもりだが、足立はしっかりと俺の目を真剣に見つめて、次に出る言葉を待っていた。 「足立にとって俺は、数多くいる友達の中の単なる1人かもしれないけど、俺はあんまり友達いないし、自分をちゃんと叱ってくれる友達って初めてだったし、それに結構……足立と仲良くできてるの、特別に思ってるから」 「俺だってちゃんと、特別に思ってるよ」  勘違いをして舞い上がりそうだったが、足立の心は他人のものなのだと頭に浮かべば、その言葉も素直に受け取れなかった。  足立のことだ。気遣いは誰よりも上手なのだ。俺は困ったように笑う。   「足立の髪も、いい匂いがするよ。俺もきっと、その使ってるシャンプーの匂いを嗅ぐと、足立のことを思い出すんだと思う……同時に、康二さんのことも」  特別だと言って貰えたことには、あえて触れなかった。  足立の髪からいい香りがするのに気付いたのは、初めて話したあの日だ。  あの時の俺はまだ何も知らない。だが今はもう、知ってしまった。  足立の髪の香りは、康二さんによって作られているということ。

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