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第9話 失敗

「深呼吸して。大丈夫大丈夫」 「う、うん」  言われた通り、浅い呼吸じゃなく、意識して深い呼吸を繰り返すと、少しだけ落ち着きを取り戻してきた。布団の中で吐いた息が自分の顔にかかって暑い。  足立はより一層穏やかな声で俺に言い聞かせた。 「1人じゃないよ。いま史緒は、俺といる。いつでも暗闇から逃げることも出来るから、心配しないで」 「分かった……」  逃げてもいいんだと許されると安心する。  だからその瞬間まで頑張れる。 「じゃあ、何か話をしようか」 「えっ……な、何の話する?」 「じゃあ、今書いてる小説のあらすじを教えて」 「それはちょっと……恥ずかしいから却下」 「じゃあタイトルは? 学園モノ?」 「あの、できれば違う話を、しましょう」  わざとやっているなと感じたけど、これも足立の優しさなのだと思う。笑わせて、安心させようとしているのだ。  その後は、好きな小説、好きな作家、よく聴く音楽はなど、困らない質問をいくつかしてきたので、淡々と答えていった。  普段よりたどたどしいが、意外と話せている自分がいて、いい感じだと思った。  油断すると、気持ちが暗闇にのまれてしまいそうになるが、タイミングよく足立が手を握り直してくれたり、布団の上から肩をさすってくれたりするお陰で耐えられた。   「すごいじゃん。やっぱり、話をしていれば大丈夫だね。もう怖くないんじゃない?」 「うん、俺も今そう思ってた! 怖くないかも」 「じゃあ、手、離してみようか」 「待って待って」  それは無理な気がしてぎゅうっと握ると、ふっと鼻で笑われた気配がした。  今度はもう片方の手も握られる。  被った布から両手だけ出ている自分は一反木綿のようで、はたから見たら怪しい妖怪である。 「もう少し話してみようか。これまでで1番の成功体験は?」 「第1志望の学校に合格できたことかな」 「じゃあ反対に、失敗体験は?」 「失敗? えーと……」  そんなの数え切れないほどあるから、どれをピックアップすればいいのか分からない。参考までに訊いてみる。 「足立は何かある?」 「俺? 俺は……あぁ、子供の頃の不注意のせいで、消せない傷を体に残しちゃったことかな」  今まさに、足立に尋ねてしまったことが失敗だったと思ったが、そういえば自分も不注意で顔に傷を付けてしまったのだった。あれこそ失敗体験だ。 「俺も子供の頃にやっちゃったことがある。雪の日に転んじゃったんだ。たくさん積もってたから嬉しくなって、雪玉を投げたり雪だるまを作ったりして遊んでたら、思い切り滑った。俺も、その時の傷跡がまだ残ってるよ」 「……目立つの?」 「ううん、全然。残ってるけど隠せる所だから気にならないし」 「そう、良かった。ふわふわの髪の毛が役に立ってるんだね」  布団越しに頭を2回ポンポンと優しく叩かれ、頬が紅潮する。冷房は付いているが、恥ずかしさも手伝って中は蒸し風呂状態だ。 「血が結構出たからびっくりされて、雄飛がお父さんを呼んできてくれたのを覚えてる」  あの日は珍しく父がいた。ほとんど家に帰ってきていなかったから、久々に会えたこともあって浮かれていたのだと思う。  号泣している俺に向かって『これくらい大したことないだろ』って、結構冷静な口調で言って、手当てをしてくれたような。 「……また、萩原か」  聞き間違い、かと思った。  いつもの、自分を優しく叱責してくれる声ではない。険を含んだその声に、さっと血の気が引いていく。  今の声は、雄飛の声と同じだった。雄飛も、俺が足立の名前を出すとこんな風にどこかうんざりして、呆れたような声を出していた。

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