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第12話 確証
足立は俺と視線を合わせたまま、黙り込んだ。
そこではじめて自分のミスに気付いた、とでも言うように僅かに目をおおきくさせた。
目線を逸らさずにじっとするその仕草が、俺の疑惑を確証に変えた。何か機転を利かせようと思案している気がする。
俺のふわふわの髪の毛が役に立っているねと、笑って言った足立。
どうして? この傷のことは、雄飛しか知らないのに。
「……雪の日だから厚着してるだろうし、怪我するとしたら顔の辺りかなと思って」
そう、なのだろうか。
苦しい言い訳のようにも聞こえる。
頭のいい足立なら考えられなくもないけど、あんなに瞬時に予測して返事ができるものなんだろうか。
雄飛からわざわざこんな話、聞いたとも思えない。
だったら、俺は──
「俺、足立に会ったことがあるの? 子供の頃に」
足立は肯定も否定もしなかった。
今度は怒りに加えて、腹の底から羞恥心が湧きあがる。
下駄箱で、足立が話しかけてくれた時。
はじめてだっけ、と言っていたのに。俺と話したことがあったくせに、ずっと知らないフリをしていたのだ。
どうしてそんなことをしたのか冷静に尋ねようとするけど、さっきのキスのこともあって怒り勝 り、声が震えてしまった。
「言ってくれれば良かったのに。ずっと俺のこと騙してたんだ」
「騙してって、そういうつもりじゃないよ」
「楽しんでたんでしょ。こいつは何も知らないなって、心の中で笑ってたんでしょ」
「だから、そんなつもりじゃないんだって」
史緒、と呼び止める足立に背を向け、俺は今度こそ部屋から逃げた。
荒く階段をかけ下りる。
街灯の明かりが差し込んでいたので踏み外しはしなかった。
リビングの隅に放ってあったリュックを掴み、スニーカーの踵を踏みながら外へ出た。
たくさんの感情をごちゃ混ぜにさせながら走った。
足がだるくなってきたところで立ち止まり、振り向いてみると誰もいなくて、少しだけホッとする。
風がなく、熱気ばかりが体を襲っていた。
額にかいた玉の汗を手で拭うと、先程ぶつけたところがズキンと鈍く傷んだ。
(どうして、足立と俺が?)
息を整えつつ、必死に子供の頃の記憶を引っ張り出す。
雄飛だと、思っていた。
雪の日、一緒に雪だるまを作って雪玉を投げ合って遊んで、俺が怪我をした時に父を呼んできてくれた相手。
思い出そうとしても、一緒にいた、楽しかったという記憶はあるのに、相手の首から上が思い出せない。でも男の子だったのは間違いない。だから相手は雄飛だと信じて疑わなかった。
今度はこめかみの傷を指先でなぞる。
これが何よりもの証拠だ。俺と足立は確かに会っていたんだ。そして確実に父もいた。それは記憶違いではなく、はっきりと思い出せる。
──話したのって、はじめてだっけ?
ノートを拾われた日に、足立にそう言われた。
あれに他意はなかったか。
俺がもし『はじめてじゃない』と言えば、反応を変えたんじゃないか。足立はあえてそういう言い方をして、俺を試したんじゃないか。
たまに家に帰ってきては、俺に小遣いをくれたり、おおきな公園へ連れて行ってくれた父。
そうだ、あの雪の日、おおきな公園にいた。そこで怪我をして、家にいた父を足立は呼んできてくれたのだ。
その時、父がいた家は……
踵を返し、気付けばまた、走り出していた。
闇雲に走っている訳ではない。導かれるように、第六感に任せて道を進んでいくと、すぐに公園にたどり着いた。
アスレチック遊具、ブランコや鉄棒、ウサギやパンダの乗り物の遊具がある。
それらは見るからに新しく、昔のものは撤去されたに違いないが、植わっている木や、出入口から見える風景は変わっていない、のだと思う。覚えていないけれど。
足立の家の階段の小窓から見えた、向かいの家の赤い屋根、樫の木。屋外用の水道と、ガラス製の表札。
見たことがあるような気がしたのは、気のせいではなかった。
そこでようやく、腑に落ちた。
全身の力がふっと抜けていく。
足立は言わなかったのではなく、言えなかったのだ。
怪我をした日、俺は父と一緒に足立の家に行った。
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