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【5】第1話 馬鹿
「こんにちはー。本日担当させて頂く磯部です。こちらの美容室は初めてですかぁ?」
康二さんが白々しく、背後から鏡越しに俺に尋ねてくる。
こんなにもニコニコと愛想良く笑われているというのに、俺は少しもニコリともせず、上の空だった。
「……2回目です」
「あ、そうだったね。史緒ちゃん、久しぶりだね。どう夏休みは。楽しいことしてる?」
ノリの悪い俺を見てため息を吐いた康二さんは、白いクロスをバサッと翻し、俺の腕へ通した。
夏休みなんて楽しくない。
あれから半月が経つけれど、足立とは会っていない。電話やメッセージも一切ない。
落ち込んだ様子の俺を見ても特に怯 まない康二さんだから、何らかの事情を知っているのだろう。また明るい調子で尋ねられる。
「今日はカットとトリートメントだよね。どんな感じにする?」
「ジョニーデップみたいにしてください」
「うん、努力はしてみるけど、結構難しい注文だね」
「じゃあ、レオナルドディカプリオで」
「似たり寄ったりだな。史緒ちゃん、僕に話があるから、わざわざ予約してくれたんでしょう。気を遣わなくたって、言ってくれれば仕事終わりや休みの日に話すとかでも良かったのに」
康二さんと確実に会うにはこれしかないと思ってしまったのだ。
結局髪型は、康二さんにお任せで、と言った。
わざと変にされたらされたで、別にいいと思った。
だって俺は、康二さんに嫌われても仕方のない存在だから。
鏡越しに見えるその笑顔は決して崩れていなかったが、しばらくすると、弧を描いていた唇が少しだけ緩んだ。
「思い出した?」
それだけ言われたので、かぶりをふった。
「思い出した、訳じゃないんです。なんとなく、そうなんじゃないかって予測しただけで」
「ふぅん。そっか」
「足立は、何か言っていましたか?」
康二さんはキャスター付きの椅子に座りながら俺の髪の毛にハサミを入れている。
シャリシャリと軽い音が耳のすぐそばでする。
「何したのかは訊かなかったけど、史緒ちゃんを怒らせたって。あと、隠してたことがバレたって言ってた」
「康二さんは、知ってたんですね。俺の父のこと」
「うん。史緒ちゃんのお父さんって、結構イケメンだよね。口は悪いし、馬鹿だなって思ったけど」
呆気なく白状されたが、さほど動揺はしなかった。
はじめて康二さんと会った日、どうして自分はこんなに嫌われているのかと思った。
足立と一緒にいたからというのがもちろん1番の理由だろうけど、2番目の理由は、俺があの父の子供だからだ。
足立の母の不倫相手の、俺の父。
「俺は、足立が火傷をした雷の日に、一緒にいたんですか」
「いた。というか、連れてこられたっていうのが正解かな」
「あの……俺はその時、何を……」
「史緒ちゃんは、僕達が話し合ってるのを遠くから見てた。隠れて泣きながら、チラチラこっちを見てたね。だから僕、あの馬鹿な2人がどうでもいいことで喧嘩をしている最中に、史緒ちゃんの所へ行って言ったんだ。大丈夫だよって。恭太郎も大丈夫だからって。その時の史緒ちゃん、潤んだ瞳でうんうんって必死に頷いてさ。外国の絵画に出てくる天使みたいに可愛かったなぁ」
俺はあの雪の日だけじゃなくて、何度か足立の家に行ったのだ。
父親に連れられて、足立の家で足立と遊んだ。
俺の父と足立の母が一体どんな関係なのか、全く気にする訳でもなく、足立と笑いあった。
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