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第2話 曖昧

「それがきっかけで馬鹿な2人は別れたみたいで、恭太郎は史緒ちゃんと会わなくなった。史緒ちゃんは忘れてたけど、恭太郎は覚えてたみたいだよ。君と会えてたことがよほど楽しい記憶だったんだろうね。今年の春、同じクラスになったんだって嬉しそうに言ったから」  俺はギュッと、唇を真一文字に結んでから訊いた。 「俺のせいですよね。足立の両親が離婚したの」  俺の父が1週間、足立の母を家から連れ出したのではないか。  もし父が、常識のある人だったら。  俺が、母以外の女の人と会っている父に違和感を感じていたら。  その場の雰囲気に流されずに、自分の意見をしっかりと言える強さを持っている子供だったら、足立は体に消えない傷を残さずに済んだのかもしれないのに。  康二さんはふふっと笑い、メガネの奥の目を細めた。 「たぶん、史緒ちゃんはそうやって気にすると思ったからあの子は黙ってたんだろうね。それに、史緒ちゃんのせいではないでしょ。馬鹿なあの2人のせい。あの子の父親だって、同じようなことしてた訳だし」 「……俺、どうしてそんなに大事なこと、忘れちゃったんだろう」  いくら記憶を辿ろうとしても、足立といたこと、足立と話したことは本当に思い出せないのだ。他人の記憶を聞かされているみたいに、途切れ途切れで曖昧で、(もや)がかかる。  きっと、雄飛がいたからだ。  常に一緒にいたから、足立といた思い出は、いつの間にか全て雄飛に書き換えられてしまったのだろう。 「しょうがないんじゃない? 史緒ちゃんは、恭太郎といたことは重要じゃなかったから忘れた。恭太郎にとっては重要だったから覚えてた。ただそれだけのことだよ」  諦めにも似た、哀しい響きだった。  恭太郎が可哀想だと言っているのがニュアンスで理解できて、胸が痛くなってしまう。 「それで、あの子は史緒ちゃんにどんなことを言って怒らせたの?」 「え……」  言えなくて黙り込む。  初めは、キスをされたことに戸惑いと怒りが湧き、過去のことを隠されていたことが明らかになった時、何とも形容しがたい感情が湧いた。  今は、怒りという感情はあまりない。  あんな風に足立の手を振り払ってしまい、傷付けてしまった、もう顔向けが出来ないという気持ちの方が強い。 「言いたくないんだったらいいよ。恭太郎も言わなかったから。僕で良ければ協力してあげようかと思ったけど、やっぱり2人で解決してよ」  シャンプーしよう、とシャンプー台へ連れて行かれた。  その空間全体がフローラルな香りに包まれていて、足立にベッドの上でされたことを思い出し、胸がざわついた。プルースト現象。  キスのことを正直に話すべきか悩み、結局言えなくて自己嫌悪に陥る。  あの時の俺は相当パニックになっていて、上手く呼吸もできていなかった。足立はそんな俺をキスで落ち着かせようとしたのかも。  どう言ったらいいのか分からなくて、俺は眉を下げながらようやく浮かんだことを口にした。 「俺と足立って、しょっちゅう会ってたんでしょうか。どんな風に話をしていましたか」  康二さんはトリートメントのボトルを準備しながら苦笑した。

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