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第3話 内緒
「そんなの、直接あの子に聞きなよ。僕が覚えてるのは、史緒ちゃんがあの日泣いてたってことぐらいで。僕だって知らないよ、君たちがいつぐらいから何回くらい会って、どんな風に話してたかなんてさ」
「……そうですよね。すみません」
足立は康二さんに話しているかと思っていたが、本当に知らないようだ。
シャンプー、トリートメント、ブローとすべての工程を終えた自分は、かなり素敵に変身していた。
バラバラだった長さの後ろ髪がきちんと整えられ、トップはふんわりと持ち上がり、毛先まで潤いが行き届いている。
もちろん頭には、天使の輪も。
「くせ毛を生かしたヘアースタイルにしてみました。言った通り、ちゃんといつも乾かしてから寝るんだよ。傷んじゃうからね」
「はい……ありがとうございました」
風呂上がりはタオルドライだけで済ませている俺にそう忠告しながら、柔らかな刷毛 で顔についた毛を払ってくれた。
値段はいつも行っている理容室の3倍はしたけど、次もまたここにお願いしたいと思った。
康二の腕は確かだよ、と笑っていた足立の顔を思い出す。
「じゃあ、今日はありがとう史緒ちゃん。どんな理由でも、予約して来てくれたのは嬉しかったよ」
「あの、俺が来たってこと……」
「言ってないし、内緒にしてて欲しいんなら言わないでおいてあげる」
「そうしてもらえると、ありがたいです」
「やっぱり好きなんだね、あの子のこと」
思いがけない言葉に一瞬心臓が跳ねて動揺したけど、誤魔化さずに「すいません」と答えた。
「でも、2人の邪魔は絶対にしないので」
すいません、ともう1度言って、軽く頭を下げる。
康二さんは目を瞬かせた後で、慈愛に満ちたような眼差しを送ってきた。
「良かったらまた切りにきなよ。もう、史緒ちゃんのこと変に虐めたりしないからさ」
「はい。また来ます。ありがとうございました」
胸の内に溜まっていたモヤモヤを発散させられた気がして、少しだけ気持ちが上を向く。
重いと思っていた頭も少し軽やかだ。俺の罪は軽くなったわけではないけれど。
帰ろうとする俺に向かって、康二さんは突然思い出したような調子で言った。
「もう聞いた話かもしれないけど」
「?」
「昔、恭太郎は君のことを『史緒ちゃん』って呼んでたって」
足立が家に俺を呼びたくなかった理由。
雄飛の名前を出して足立を不機嫌にさせたこと。
今になって分かる。
自分がどれだけ無神経だったのか。
足立に史緒ちゃん、とふざけて呼ばれてどこかソワソワとした感じになったのは、実際に呼ばれていたからだ。
女の子ではなく、足立ひとりに。
強烈な日差しが照りつける道端でぼんやりと歩いていたら、ふと喉の乾きを覚えて、自販機で飲み物を買って一気に飲んだ。
せっかくの髪も、汗で台無しになってしまう。そう考えて、今日も図書館に行くことにした。夏休みの午後はだいたいそこで過ごしている。
自動ドアが開くと、冷気がふわりと体を包み込む。汗がスッとひいていく感覚が心地よくて息をつく。
受験生なのか、机に広げた参考書やノートに真剣に向き合っている男の人の後ろを通り過ぎ、奥のスペースにある椅子に腰を下ろした。
荷物を置いたまま席を立ち、文学書コーナーへ行く途中で、ふと足を止めてしまった。
1人がけのソファーに座って本を読んでいたその人も顔を上げると、視線がかち合った。
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