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第8話 弱虫

「うん。上履き」 「上履きが何? 濡らされたの?」  俺も視線を送り返して考え込む。  わざとはぐらかしているのかもと思案したが、こうして笑い合える関係性になった今、そんな嘘は吐かないような気がした。 「由井さんじゃないの? 下駄箱に入ってた俺の上履き、水浸しにしたの」 「そんなことしてないし。第1、あんたの下駄箱の場所知らないし」 「本当に? 正直に言ってくれても、怒らないから大丈夫だよ」 「してないっつーの。足立にますます嫌われるようなことして何のメリットがあるのよ」 「じゃあ、誰が?」  てっきり由井さんだと思っていたのに。  由井さんと会った日の翌々日にされたのだと告げると、俺と一緒にうーんと腕組みをしながら考え込んだ。 「あ、言っとくけど細野でもないからね。その日も私と一緒に登校したんだから。家まで迎えに行ったから、ちゃんとアリバイあるよ」  細野さんのことは少しも疑ってなかったが、その線はなくなった。  心の中が、ざわつき始める。  疑惑はどんどん、確信に変わりつつある。もしかしたら。  答えを導き出したくなかったが、微妙に笑みを含んだ声で、由井さんは平然と言ってのけた。 「あんたが足立と一緒にいたのが面白くなかった人が、他にもいたってこと?」  俺は夢を見ていた。  足立と雪の中、走ったり雪玉を投げあったりしている。不思議なことに、現実世界ではどれだけ思い出そうとしても霧を掴むみたいに無理だったものが、夢の中だと相手の顔が鮮明に見えた。  幼い足立は、高い声で無邪気によく笑っている。  史緒ちゃん、史緒ちゃんと何度も名前を呼びながら、俺の手を掴んで家の階段をダダダッと勢いよく駆け上がっている。  転びそうになる少しの恐怖感よりも、高揚感が(まさ)った。楽しくて仕方がない。何でもないことでも面白くて笑って、2人でいれば無敵だと思った。  階段が折り返しになっているところの小窓から景色を見てみた。  足立に笑いながら耳元で囁かれて、ふふっと噴き出す。何て言われたのかは分からないけど『それ、ナイスアイデア』と言って、顔を見合わせて笑った。  俺たち以外の人の気配を感じて階下に目を向けると、高校生の雄飛が俺たちのことを見上げていた。  雄飛が足立の家にいる訳ないのに。やっぱりこれは夢だ。  だから俺は、夢の中でなら躊躇なく言える。  ねぇ雄飛、訊きたいことがあるんだ。本当は雄飛が──  机の上で突っ伏して寝ていたらしく、気付けば部屋の中は静寂と暗闇に包まれていた。  急いでスタンドの灯りを付けて安心感を得る。  窓に映りこんだ自分が自分じゃないみたいに見えた。そういえば髪を切ってもらったのを忘れていた。  カーテンを閉めながら、深いため息を吐く。  夢の中の2人に、現実世界では会いに行くことが出来そうになかった。  このままでは駄目なことは分かっている。分かっているけどどうしても、勇気が出ない。

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