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第6話 退散

 その日の午後、俺は雄飛の家を訪れた。  チャイムを鳴らすと、雄飛がドアを開けてくれた。  目と目が合うと、泣きそうになってくる。その思いは雄飛もきっと同じだろう。  一緒にいたいのに、一緒にいると苦しくなる。 「大丈夫? 熱出たって聞いたけど」 「うん。まだ少しあるけど体調は良くなった」 「そう、良かった」  部屋に入って違和感に気付く。  あんなに雑多に置かれ、床に積まれていた本や衣類が、きちんと元の場所に戻されていた。窓掃除もしたのか、その硝子にくもりがない。  机の上の缶のペン立ては無くなっていた。スタンドシェルフにも置いていないので、ペンやミサンガごと捨てたのかもしれない。  部屋が生まれ変わったようだった。 「もしかして、熱あるのにずっと掃除してたの?」 「眠ろうと思っても落ち着かなくて。少しだけ片づけようと思ったら、少しで終わんなくて」 「こんなに綺麗なの、何年ぶりだろ」  カーペットの上に座って足を伸ばし、伸びをする。  変わりたい。この部屋みたいに、俺たちも。  ふと心の中で呟いた言葉が5、7、5になっていたのに気付き、堪えきれずに少し噴き出してしまった。 「史緒。悪かった。嫌がってたのに、あんなこと」  あの後、朝になって俺の姿がないことに気付いた雄飛は、きっとたくさん苦悩したはずだ。  その最中は人が変わったみたいに意地悪だったのに、終わった後は憑き物が落ちたように大人しくなっていた。  変わりたいんじゃなくて、変わればいい。  やり直せばいいんだ。俺と雄飛だったらきっと、大丈夫だ。 「俺、足立を好きなのやめたから」  それがいいことなのか悪いことなのか、自分にはよく分からない。  だけどどうしたら最善なのかも分からなかった。 「いいよ……そんなことすんなよ。俺のせいだって言えばいいのに」 「ううん、別に。雄飛のせいじゃないよ。全部俺のせい」  人の気持ちを(ないがし)ろにしていた、自分のせいだ。  雄飛に初めてキスをされた時、はっきりと拒絶しなかった自分。その時からもう、この未来は決まっていた。  だからもう1度、やり直したかった。  どうしたらいいか分からない顔をしている雄飛の手にそっと触れてみた。  熱のせいか、少し熱い気がした。 「告白したけど、振られちゃったんだ。恋人もいるし、何より友達以上に見れるわけないって」  俺は精一杯の嘘を吐く。  足立とはもう、関わらないつもりだった。  元々、ほんの数ヶ月一緒にいただけだ。また話さない元の日常に戻るのは簡単だと思う。  演技は上手だったみたいで、雄飛からは気落ちした声が返ってくる。 「そうだったのか……」 「俺、雄飛の気持ちには応えられないけど、出来ればずっと仲良くしてほしいんだ。子供の頃からずっと、雄飛が大好きだから」  足立に言えなかった言葉を、代わりに雄飛に言った。  いくら自由を奪われる発言をされたとしても、勝手なことをされても、俺はこの人を裏切ったりはできない。  震える手が、縋るようにこっちに伸びてきた。   「友達やめるって、言われるかと思ってた」  そうしてぎゅっと抱きしめられる。  ごめん、ありがとうと何度も言われたので、肩口に顔を埋めて笑いながら「しつこいな」と言ってあげた。由井さんみたいに。  雄飛はもう、俺の体を後ろへ倒したりしなかった。  キスもきっとしないだろう。  脆弱(ぜいじゃく)な2人の心に包帯を巻くように、俺も手に力を込める。  やり直すのだ、何もかも。

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