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第7話 幸福
雄飛とそのことについてちゃんと話せたのは、冬休みに入る少し前のことだった。
頑張れと言ってくれた次の日、学校で会った時にすぐに「良かったな」と言われた。
顔に出ていたのかもしれない。
謝るのは違う気がしたので、うん、と頷いただけだった。
足立は足立で、俺たちの様子を遠巻きに見ていた。
雄飛にどう切り出すか少し悩んでいるようだったけど、思いがけずその時がやってきた。
雄飛と廊下を歩いている時に、たまたま足立がひとりで向こうからやってきた。
目が合って、あ、と勝手に声が漏れる。
雄飛もすぐに気付いて、足取りが遅くなった。
「相手がお前じゃなかったら、散々文句言ってたと思うけど」
雄飛の不貞腐れた声が、足立の足を止めた。
動揺する俺を置き去りにして、2人はまっすぐに見つめ合う。
足立は頷いて、言葉の続きを待った。
「お前だったら大丈夫だと思ったんだ」
うん、と足立は真っ直ぐに見てまた頷いた。
その目には揺るぎや迷いが一切なかった。
何を言われても、俺とずっと一緒にいることは覆さないと、強い意志の表れに見える。
「正直、一方的にムカついてたこともあった」
わざわざ伝えなくても、と狼狽えたが、当の本人は子供を見守るような笑みさえも浮かべている。
何を言っても受け入れようとしてくる相手に居心地が悪くなったのか、雄飛は視線を外して、冗談か本気か分からないようなことを言った。
「お前が史緒のこと大事にしてないって分かった時には、遠慮なく俺がもらうから」
「それはダメ」
おとなしくしていた足立は、それには即答した。
「ちゃんと大事にするって誓うから」
史緒のことは、あげないよ。
そう言っているような目だった。
雄飛もきっと気持ちを汲み取った。
少し照れたように、ふん、と鼻を鳴らしたあと、ひとりで教室へ戻ってしまった。
「大丈夫だったかな」
今更、心配そうに訊いてくる恋人は、俺がさっきの言葉でどんなに嬉しく思ったのか、きっと気付いていないだろう。
「大丈夫だと思う。分かってくれたよ、きっと」
ほんとうは、今すぐここで抱きつきたかったけど、微笑み返すだけに留めておいた。
足立もホッと一息ついて、俺の頭をぽんと叩いた後、教室へ戻っていった。
冬休みに入ってから足立の家へ行くと、窓ガラスはすっかり綺麗な状態に戻っていた。
決して安くはない修理代だ。
用意したお金は、受け取ってもらえなかった。それは想定内だったのでしつこく食い下がると、思わぬ提案をされた。
「行きたいところがあるから、付き合ってよ」
そう言って連れられた場所は、いつか一緒に訪れた保護猫カフェだった。
店員さんは足立を見た途端に、嬉しそうな顔を見せた。
「この間の話、うまくいったんですよ」
「あぁ、良かったです」
ご婦人が、とか、何度も来てくれて、とか。そんな言葉が会話の端々で聞こえてくる。
話し終えた足立が俺に向き直った。
「前に、史緒の手を引っ掻いた白猫、里親が見つかったんだよ」
「そうなの?」
あの大福のような、でっぷりとした白猫。
人間への警戒心が強く、撫でていた俺の手に爪を立てた猫は、新しい場所で新しい生活を始めたらしい。
足立は俺と話さなくなった後も、ここに来ていたらしい。その時に出会った老婦人と話す機会があり、白猫の生い立ちを話したら心を痛めたようで、その猫を気にかけるようになったのだという。
「けどすぐには踏ん切りがつかなかったみたいで。いつかはお別れする時が来るからって」
はじまりがあれば、かならず終わりもある。
それを考えると身動きが取れなくなるのはとてもよく分かる。
悩んでいたけれど、その人はつい最近になって家族になることを決心したみたいだ。
「辛い思いをした分、愛情を込めて育ててあげたいって。たくさん楽しい思い出を作っていって、最後の瞬間に、いい人生だったって思ってもらえるように、たくさん可愛がるって」
白猫がかつて香箱座りしていたキャットタワーの上の方を見つめる。
いなくなった白猫は今、再びたくさんの愛情をもらえるようになって喜んでいるだろう。
隣に並ぶ足立を見る。
俺も足立に、そんな人生を送ってもらいたい。
自分はとても幸せだったと振り返れるような人生を。
「幸せになって欲しいなぁ」
足立も、白猫も。
自分も含まれているだなんて思っていないだろう彼は「本当に」とやさしい笑みを零していた。
良かったね、とぽっかりと空いているベッドに向かって、俺はあたたかな気持ちで囁いた。
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