44 / 70
第3話
「いいよ、そんなの。……あ、でもさ」
彼女は身を乗り出すと、声を潜めた。
「お客さんて、その筋の人? ほら、月城組の組長さんと話してたじゃない?」
「いえ、あれはちょっとした人違いで」
「そうなんだ。ああ、びっくりした。いや、お客さんて、どう見てもカタギだしさ」
女店主は、ほっとしたような顔をした。そういえばあの時の彼女は、引きつった表情を浮かべていた。確かに、驚くのも無理は無いが。
「でも、結果的に困っていたのを助けてくださって。それで今日はお礼に、粉を買いに来たんです。彼、こちらのコーヒーがお好きみたいだから」
お礼、というのもまんざら嘘ではない。実際氷室には、騒音トラブルを解決してもらった。その上匿名通報のおかげで、職場でも上司の覚えはめでたくなった。これを機に不正受給を一掃しよう、と上層部は張り切っているくらいだ。
「なるほど。彼、カタギには優しいからね」
女店主は、うんうんと頷いた。
「是非プレゼントしてあげてちょうだい。……ええとね、組長さんがお好きなのは、この種類」
優真は女店主の勧めに従って、コーヒー粉を注文した。彼女は、饒舌に語っている。
「きっと喜ぶよ。最近はお忙しいみたいで、店にもなかなか来てくれないしね。配達してあげてもいいんだけどさ。というか、前は事務所に配達してたのよ。他のお客さんを怖がらせまいと、遠慮してるみたいだったから。それで、どうぞ来てくださいって言ったの」
「そうなんですね」
優真は、ふと切なくなった。氷室はこの商店街を守るため、今奮闘している。それなのに、堂々と来店もできないなんて……。
「ヤクザさんも、一人のお客さんだもの。差別はしたくないからね」
女店主が言う。そうですね、と優真は同調した。
「いつもお一人で来られるんですか?」
「そうよ」
女店主は即答した。
「それも、配慮だろうね。だって、子分たちがぞろぞろくっついてたら……、ねえ?」
彼女は、くすくす笑っている。優真もつられて微笑んだ。
「そうだ、これ、おまけね。彼、この味もお好きなんだ」
女店主は優真に、数袋のドリップコーヒーを押し付けた。
「人違いでも、組長さんに助けてもらってよかったね。うちの店で良い出会いがあったみたいで、あたしも嬉しい。『ランコントル』って、フランス語で『出会い』って意味だからさ」
彼女は帰り際、そう言って微笑んだのだった。
ともだちにシェアしよう!