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小さな願い

「あの映画の成功点を第一に挙げるとするなら、それはキャスティングだろうな。主演女優松たか子の演技は素晴しかった。女教師森口の懊悩の果てに到達した冷徹でありながら人間らしい部分を残す複雑な心情を表現することは、彼女の卓越した演技力なくしてはなし得なかっただろう」  黒井はかれこれもう30分、途切れさせることなく延々と、さっき観てきた映画『告白』の松たか子を絶賛している。 隣を歩く頭一つ分小さい彼の、度のきつい眼鏡のせいで目立たないがなかなか可憐な顔立ちを、俺はさりげなくみつめている。  彼がさっきから立て板に水のごとくしゃべり続けている、『ミステリー小説映画化についての一考察』は、俺には半分も理解できなかったが、とりあえず誘った映画には満足してくれたようでホッとした。  高校でもド変人で通っている一匹狼、ミステリマニアの黒井を誘い出すために、商店街の歳末福引会で当てた映画の前売り券はしっかり役に立ってくれた。  おかげでこうして片想いの相手と初デートできたわけだから、福引様々だ。 「……と、こう僕は考えるわけだが……西条、ちゃんと聞いているのか、君は?」  話を右から左に流して、ただ見惚れていたことにさすがに気付かれてしまったらしい。 「ああ、聞いてるよ。松たか子だろ? 俺も好きだぜ。年上も結構いいよな」  黒井は露骨に眉を寄せる。 「全く……呆れるな。好悪のレベルの話じゃない。僕が今言っているのは彼女が演じることによって森口という教師のキャラクター像が原作より一層……」 「あ、黒井、ほら、神社あそこだから」  さらに言い募ろうとする黒井の言葉を苦笑で遮り、石段を上がった先の鳥居を示す。  正月にはどこにも出かけず、ミステリー小説を読み倒していたという黒井を、映画の後、遅すぎる初詣に誘ったのだ。 どん暗いミステリー映画は彼の趣味ストライクだっただろうが、初詣にまで同行してくれたことは、予想外にラッキーだった。  しかも毎年正月はひきこもり、読書で終わっているらしい黒井にとって、これが人生史上初の初詣らしい。  50段の石段を上がりきって息を切らせるインドア派の彼の背を、さりげなく支えながら拝殿の前に導く。 「大丈夫か? 少し休むか?」 「い、いや、結構だよ。それで、どうすればいいんだ?」  俺の腕を掴みたそうなくらいヨロヨロしているくせに、黒井は気丈に息を整え、仇に会ったみたいに拝殿を見据える。  俺は頭上の鈴をカランカランと慣らしてから、 「こうやって、パンパンと手を叩いて、願い事を唱える」  先にやってみせるために神妙に目を閉じ、心の中で今年最初の願いを唱えた。 『どうか、黒井とつき合えますように』  ポンポン、と、隣で控えめに手を叩く音がした。 「また西条君と映画に行けますように」  続いた言葉に耳を疑い、びっくりして隣を見た。  願い事を口に出して言った黒井は気配に視線を上げると、一体何を驚いているのかという不思議そうな顔で、俺を見返す。 「あ、あのな、黒井。願い事は心の中で唱えるんだ」  色白の頬に、サッと朱が走った。 「そ、そ、そういう情報は、ちゃんと事前に正確に伝えてもらいたいな」 「まさか、ホントに今のが、おまえの願い事か?」  K大に合格して由緒あるミステリ研に入れますように、とか、ミステリ小説新人賞で受賞できますように、じゃないのか?  黒井は眼鏡の下、どことなく気まずげに目を逸らす。 「ぼ、僕自身の努力ではどうにもならないことだから、まぁ、助力を祈ってみたわけだ。もし君が不愉快に感じたとしたら、そのへんは容赦願いたい。もっともこんな神頼みの効力、全く信じていないけれどね」  つっけんどんに言って、プイと横を向いてしまう。  クールに見せながらギュッと握り締めたその拳が微かに震えているのに気付いてしまい、押さえ込んでいた愛しさが唐突に湧き上る。  超変人と敬遠され、いつも一人で図書室にいる黒井。  たまにいやがらせで教科書や上履きを隠されても、全くこたえていない顔で前を向いている黒井。  校舎裏の鳥小屋のニワトリだけが友達で、餌をやっては何やら話しかけている黒井。  何を願い、何を求めているのか見えづらいそのポーカーフェイスが、小さな小さな望みを口にした今、わずかに崩れてしまっていた。  自制する余裕もなく細い腕を掴み、引き寄せて唇を重ねた。  触れるだけのキスで離れると、眼鏡の下の瞳は大きく見開かれ、笑えないくらい真剣な顔をしている俺自身を映していた。 「好きだ。俺とつき合ってくれ」  あっさりと飛び出してしまった直球の告白に、黒井はたっぷり10秒間固まっていた。  そして、その右手がおもむろに上げられる。震える細い指がおそらくは無自覚に、彼自身の胸のあたりをギュッと掴んだ。  その奥にそっと隠した、彼にとって一番大事なものが、どうしたわけか急に動き出して止まらない、とでも言うように。  ほんの一瞬、泣き出しそうに顔をしかめた黒井は、クルリと頼りない背中を向けて、来た道を戻り出す。 「えっと……おい、返事は?」  あわてて後を追うと、さっさと石段を降りて行きかけた足が止まった。 「ぼ、僕は今、人生最大の謎に挑んでいるところなんだ。どうかそっとしておいてほしい」  中指で眼鏡のブリッジを押し上げそう言った黒井の耳は、可愛らしいくらい真っ赤になってしまっている。  俺は笑った。嬉しくなって、笑ってしまった。 「じゃ、その謎は、俺と一緒に解き明かそうぜ」  笑いながら、細い体を背中から抱き締めると甘いぬくもりが胸に伝わり、恋という人生最大の謎の答えが、俺達二人の行き先に見えてくる気がした。 ☆ END ☆ ※お題:「初詣」「願い」「松」  昔書いたものなので話題が古くてすみません(^^;)

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