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瞳の奥のリアル

「おい! おいって! 店長! こっち来いよ、はやく!」  慧がテーブルを叩き声を張り上げると、パティシエの菅谷は十秒以内に必ずフロアに出てきてくれる。  責任感の強い彼は慧がどんなに文句を言っても、声を荒げて怒鳴っても、決して逃げたりしない。馴染み客である慧に対して、嫌な顔をしたりすることも絶対にない。整った男らしい顔に、いつだって穏やかな微笑を乗せて、慧のテーブルまでまっすぐに来てくれる。 「矢代さん、今日は何かありましたか?」  彼の作るケーキのように甘く優しい声をかけられると、慧の胸は勝手にトクトクと高鳴り出す。じっとみつめられるたびに、嬉しくて嬉しくてたまらなくなる。 「何かじゃないって! 生クリームに卵の殻が入ってたんだよ! 舌切りそうになったぞ、どうしてくれんだ?」  カウンターの中にいるバイトが唖然としてから、思い切り眉をひそめるのが視界の隅に映った。  むかつく。あのバイトはいつも慧を害虫のような目で見る。酔っ払うたびに無駄飯食らいと罵り、慧を殴った両親と同じ目だ。  あのバイトは嫌いだ。とっとと辞めちまえと思う。この居心地よくて温かい店には、優しい菅谷だけいればいい。 「十分気をつけていますし、そんなことはないはずですよ」  聞き分けのない子供をあやすようなやわらかな笑みは、全身を包んでくれるやわらかい羽毛のようだ。  菅谷に笑いかけられるたびに、慧の中には知らなかった感情が湧いてくる。そのどこかこそばゆいような感情は、慧自身をも傷つける内側のトゲトゲした部分を細やかに覆っていってくれるのだ。 「何だよそれ、俺が嘘ついてるっての? 入ってたもんは入ってたんだよ! 異物混入これで何回目だ? 大体コーヒーも、何だよこれ?」  もっと、もっとその眼差しと言葉がほしくて、慧はカップの中身を菅谷の白いコックコートの胸にぶちまけた。他のテーブルについていた女性客のグループが、「きゃっ」と怯えた声を上げ腰を浮かせる。 「ぬるいしさ、薄いんだよ! インスタントの大瓶使ってんの? ケーキはまずいわ、異物は入ってるわ、コーヒーはどぶの水以下だわ、こんなんでよく金取れんね!」  店の外まで響きそうな大声でまくし立てると、女性客達はまだ注文したケーキが出てこないのに、そそくさと席を立ち店を飛び出していく。  また今日も、邪魔な他の客を追い出してやった。他のヤツに彼の綺麗な笑顔を向けてほしくない。この店には、菅谷と自分だけいればいい。 「あんたなぁ!」  むかつくバイトがカウンターから出てくるのを、菅谷が片手を上げて止める。バーカおまえも出てけ、と慧はバイトに向かって心の中で悪態をつく。 「矢代さん」  けれど、見上げた菅谷の形のいい唇からは微笑が消えていた。悲しげに曇った表情を見て、あれ、もう笑ってくれないのか、と慧も少し悲しくなる。  笑っていない顔もいいけれど。どんな顔をしていても菅谷は世界中の誰よりかっこいいけれど、やっぱり笑い顔が一番好きだ。 「何なんです? 毎日のようにうちの店に来て、クレームをつけて、一体何がしたいんですか?」  瞳の奥を覗き込むようにみつめられ、低い声で問われて胸が震える。  答えは簡単だ。もっと菅谷にみつめてほしい。自分だけを見て、自分だけに笑いかけてほしい。他の誰かのことではなく自分のことだけを、いつも考えていてほしい。  この世には何億という人間がいるのに、菅谷に対してだけどうしてそんなふうに思ってしまうのか、慧にはわからない。その気持ちの名前も、気になる人に笑ってもらう方法も、誰ひとり慧に教えてはくれなかったから。  だから、慧にはこうする以外にない。どうすればいいのか、本当にわからないからだ。 「何だ、もうダウンか? 目ぇ覚ませ、ほら」  軽く頬を張られて、慧は目を開けた。  たった今まで虚ろな記憶の中で見ていた菅谷の悲しげな表情が、目の前の憎悪に満ちた顔と重なる。蒼い炎が全身から立ち上るような静かな怒りが、今慧に向けられている。 「そんなにはやく失神されちゃ、やりがいがないじゃないか。本番はこれからだぞ」  今日の菅谷はいつもの純白のコックコートではない。ケーブルニットとスキニーパンツ姿は初めて見る。  私服もとても素敵だ。すごくかっこいい。  もっとよく見たいと、四肢を束縛する鎖をジャラッといわせながら這い、そちらに向けようとした頭を乱暴に上から押さえつけられた。 「勝手に動くなって言ってるだろう。さぁ、ここからがいいところだ。おまえもせいぜい楽しめよ」  菅谷は全裸で四つん這いになった慧の背後に回ると、蕾に咥えさせられたバイブレーターのスイッチをいきなり入れた。 「っ……!」  不快な振動に全身がわななき、ザワッと鳥肌が立つ。  十分に慣らされることなく硬い異物を挿入された慎ましやかな後蕾は、圧迫感と痛みに耐えかね必死でそれをひり出そうと締めつける。だがその凶器は小刻みに震えながら勝手に奥へと進み、慧の初花を散らしていく。 「ん、んっ!」  喉の奥から呻きが漏れるが、声は出ない。口枷をはめられているからだ。両手足と首は鎖で柱に繋がれ、這って逃れようにもほとんど身動きが取れない状態だ。  ずっと同じ体勢でいたせいで、体中が強張って痛い。菅谷が横になって休むことを許してくれない。 「おまえ、後ろに入れられるのは初めてか? どうだ、感想は。ずいぶんと締めつけてるみたいだが、よくなってきたんじゃないのか?」  乾いた笑いとともにバイブが奥まで突っ込まれ、慧は腰を跳ね上げた。最初に塗り込められたジェルがジュクジュクと淫猥な音を立て、慧のなけなしの理性を霞ませていく。  はじめは不快なだけだった。けれど内襞を震わせる微細な動きは、少しずつ未知の快感を煽り立てている。体の内側からかき回される感覚が、とろけそうな甘い疼きを連れてくる。 「んーっ」  慧は激しく首を振り、鎖をジャラジャラさせながらもがくが、菅谷は容赦してくれない。店にいるときとは人が変わったような冷ややかさを感じさせる男は、身悶える慧を冷めた目で眺めていたが、 「足りないか? そうか、もっと触ってほしいんだろう」  と、背後から覆いかぶさるようにして両手を回し、すっかり尖った乳首をまさぐってきた。 「ここも、こんなに硬くなってるぞ。胸も感じるのか。いやらしい体だな」  嘲るように言葉で陵辱しながら、菅谷は爪で胸の突起をひっかけ、指先で執拗に摘まんでくる。くにくにと強く転がされる鈍い痛みすらも淫靡な痺れを増幅させ、慧は苦しげに呻いた。 「んっ、んっ、んーっ!」  内と外から加えられる刺激に触発され、淫らな疼きがもっとも敏感な部分に集まり始める。開発されていない無垢な体を無理矢理開かれ、知らなかった快感を強引に教えられて、慧本人よりずっと素直な花芯の先端はしとどに蜜をこぼし始める。  どうしようもなく感じてしまう。疼いてたまらない。菅谷の手で直接触って扱いてほしいのに、彼はそうしてはくれない。あられもなく悶える慧を観察し、いたずらに焦らしては言葉で辱めるだけだ。  バイブの回転数が上がる。ドリルのように最奥まで穿たれながら、しこった乳首を菅谷の指で押し込まれ捏ね回されて、急速に射精欲が高まってくる。  敏感になりすぎた背中に擦れる菅谷のセーターの感触。後ろから覆いかぶさるその存在を強く意識した瞬間に、甘美な痺れが全身を駆け抜けて、はち切れんばかりになっていた慧の中心は弾けた。 「んーーー!」  勢いよく白蜜を吐き出しながら、制御できずにガクガクと腰を揺らしてしまう。頭の中を駆け回る困惑と、説明できない漠然とした痛みを霞ませるほどの甘やかな快感に、慧は全身を震わせた。 「触ってもいないのに、後ろと胸だけで達ったのか。初めてとは思えないな、淫乱め」  ずるり、とバイブが引き抜かれるその感覚にすら感じてしまい、慧はたまらず甘い呻きを上げる。  喉が渇いた。カラカラだ。  目で訴えかけると、菅谷はおかしそうに唇を歪めながら口枷を解いてくれる。 「何だ? 謝る気になったか。『反省してます、ごめんなさい。どうか助けてください』って土下座して言ってみるか?」  慧には、菅谷が何を言っているのかわからない。  謝る? 反省する? 一体何を……。 「み、水……水を……」  かろうじて出た掠れ声に、菅谷はチッと舌打ちすると、 「そうだな。朝から何も食わせてないし、食事の時間にするか」  と、キッチンへと消えていく。戻ってきた彼は小さなボウルに入った水と、皿に乗ったモンブランを慧の前に置いた。 「おっと、手を使うな。そのまま食え」  グイと頭を押さえつけられて、慧は這ったままボウルに顔を近づけ夢中で水をすすった。乾ききった喉は潤ったが、心はカラカラのままだ。 「ほら、ケーキも食えよ。おまえの大嫌いな、世界一まずい俺のケーキだ。ちゃんと全部残さず食え。ああ、卵の殻もガラスのかけらも入ってないから、安心していいぞ」  髪の毛を掴まれモンブランに鼻先を突きつけられて、甘い香りに誘われ口を開ける。やわらかいクリームの優しい甘さが口いっぱいに広がる。菅谷のケーキの味だ。  まずいなんて、一度も思ったことはない。菅谷のケーキはどんな食べ物よりもおいしい。世界一おいしい。三食全部、菅谷のケーキだっていい。  本当はそう思っていた。  異物が入っていたなんて、全部嘘だ。菅谷が自分の相手をしに奥から出てきてくれるなら、慧はどんな嘘だってついた。  もしかしたら、そのことを怒っているのだろうか。  這いつくばったまま飢えた猫みたいにクリームを舐める慧の前に、菅谷はしゃがむ。慧の顎に手をかけ、顔を上げさせる。 「おまえ、どうして自分がこんな理不尽な目に遭うのかって思ってるだろう。もしかして、わかってないか?」  見上げた菅谷の瞳には冷え切った蒼い炎が燃えていて、その奥までは覗けない。 りふじん、という言葉の意味は知らなかったが、慧は素直に「なんで……?」と聞き返す。  確かに、慧にはわかっていない。今の自分の状況が。一体どうしてこんなことになっているのか。  十日前、むかついた通りすがりのヤツを殴ってブタ箱に3日間泊められた。「おかえり」と迎えてくれる人間もいないボロアパートに帰ってから、風邪をこじらせ1週間高熱で寝込み、死ぬ思いをした。やっと熱がひいたので菅谷のケーキ店に行こうと部屋を出たところで、何かビリビリするものを押し当てられて意識が飛んだ。  気がついたら、こうして菅谷の部屋にいた。全裸にされ、鎖で繋がれて、バイブを突っ込まれていた。  菅谷は乾いた声で笑ってから、刃物のような目でキッと慧を睨みつけた。 「店がつぶれたんだよ! おまえの連日の嫌がらせのおかげでな。どうだ、満足か?」  叩きつけられた言葉が、慧には一瞬理解できなかった。  店が、つぶれた。ということは、もうあの場所に行っても、菅谷の店はないということなのだろうか。  快感の余韻の引いた胸が、チリチリと痛み出す。  ショックを隠せない慧の表情を見て、菅谷は唇を歪めた。 「そりゃそうだよな。あれだけ連日営業妨害されたら客だって寄りつかなくなるし、悪い評判も立つ。うちのケーキには異物が混入してるらしいなんて、ネットでも叩かれたしな。開店して3ヶ月で閉店じゃ、笑うに笑えない」  笑えない、と言いながら、菅谷は笑う。ギザギザしたその笑いは店での彼とは似ても似つかない棘立ったもので、慧は混乱する。 「あの店はな、俺の夢だったんだよ! 何年も地道にがんばって修行して、金を貯めて、やっと手に入れた俺の城だ。それを、おまえが壊した!」  乱暴に頭を掴まれ激しく揺さぶられる。 「どうだ、少しはわかったか? 自分が何をしたのか。試しに謝ってみるか? 許してくださいって。え?」 「店が……もう、ない……?」  虚ろになった慧は、かろうじて繰り返す。 「そうだよ。嬉しいか? それがおまえの狙いだったんだろうが!」  乱暴に突き放され、脱力した体が横倒しになる。ボウルが倒れ、冷たい水が背にかかった。  それが、狙い? そんなわけない。  何もいいことなんかない毎日の中で、菅谷の店に行くことだけが慧の楽しみだった。たくさん嘘をついたけれど、それは菅谷に構ってほしかったからだ。他の客には笑いかけないで、自分だけをみつめて、優しい言葉をかけてほしかった。  菅谷の店があるから、毎日生きていられた。それがなくなったら、慧には何もなくなってしまう。 「おまえは何だ? どっかの店の回しものか? 俺に何の恨みがあるんだ? 言えよ!」  倒れた体を足で踏まれる。  体は痛くはない。痛むのは違うところ……もっと内側の奥深く、目には見えない場所だ。  よくわからないけれど、自分はきっとやり方を間違っていたのだ。菅谷に笑ってもらう、そのやり方を。 「全く……後悔してもしきれないぜ。何であのとき、おまえに声なんかかけたんだろうな。こんなことになると知ってたら……っ」  それまでの冷めた響きとは違う痛みを堪えるような声が届いて、慧の心臓は刃物を突き立てられたように悲鳴を上げる。  初めて声をかけてもらったときの光景が、ぼんやりしたモノクロームで頭の中に再生される。  慧のアパートの近くに新しく開店したケーキ店は、クリームとブラウンが温かい色合いのこじんまりとした店だった。カウンターに飾られた可愛らしいケーキの数々。店内には居心地のよさそうな、テーブルと椅子もいくつか見えた。  丁寧に表を掃き清めるハンサムなパティシエはとても優しそうで、見ているだけでいい気持ちになった。いつしか慧は、毎日その店の前を通り、彼の姿を見られないかと期待するようになった。  菅谷も今、同じ光景を見ているのかもしれない。怒りに満ちていたその瞳が微かに細められている。 「おまえ、毎日店の前のガードレールに腰かけて、ずっと見てたよな。最初はびっくりしたよ。人間じゃないみたいに綺麗で……夢が叶った祝いに天使が来てくれたのか、なんて馬鹿なこと思ったもんだ」 『よかったら、中で試食していきませんか? サービスしますよ』  澄んだ目をしたパティシエが、そう話しかけてくれた。少しだけためらいながら、眩しそうに慧をじっとみつめて。  そんな目で見てくれた人は初めてだった。感情を制御できない乱暴者で、始終棘を逆立てているハリネズミのような慧を、肉親も含め周り中の人間が嫌っていたからだ。  嬉しくて、なんだか涙が出そうになった。体が痛いとかしんどいとかじゃないのに、どうして涙が出るのだろう。そのときはとても、不思議に思った。  彼の深い瞳の奥には何があるのか知りたくて、店に通った。そこにはきっと慧には想像もつかないような、あたたかくて心地いいものが詰まっているのだろうと思った。だからずっとあのまま、間近でみつめていたかった。みつめていてほしかった。 「チクショー!」  菅谷が吼え、鎖を繋いだ柱を拳で打った。  倒れたまま茫然としていた慧の体をやにわに引き起こすと、もう一度四つん這いにさせ背後に回る。カチャカチャとベルトをはずす音がして、熱く硬いものがまだ痺れている後孔に押しつけられた。 「あっ、や、ああっ!」  バイブでさんざん弄られ緩くなった入口を容易に割って、菅谷の灼熱が強引に押し入ってくる。怒りを叩きつけるように一気に突き入れられ、引かれ、激しく揺さぶられる。 「許さない、絶対に! 殺してやりたいよ、おまえを!」  殺して、と言いたいのに、口の中がカラカラになって声が出ない。ぶつけられているのは憎しみだけれど、今菅谷の心も体も独占しているのは自分なんだと思うと、暗い色の喜びが全身を覆っていく。 「あっ、あっ、も、もぅっ、や……っ」  強烈な抽挿は治まっていた熱を煽り立て、萎えていた慧自身も再び頭をもたげ始める。  このまま犯されながら殺されてしまいたい。達した瞬間に、高鳴る心臓が破裂してしまえばいい。そうしたら菅谷はきっと、一生慧のことを忘れないでいてくれるから……。  最後に菅谷の顔を見たくて、首を振り向けて仰いだ。 「っ……」  一瞬だけ見た彼の瞳に映っていたのは、ついさっきまで見ていたような怒りの炎ではない。深い痛みと悲しみだった。  乱暴な手に無理矢理頭を戻されても、彼の心の色を映したその瞳が慧の胸にそのまま焼きつき、気づかなかった真実を突きつける。  菅谷はこんなこと、したくてしているのではない。そうさせているのは、他ならぬ慧なのだ。  こみ上げてくるもので視界が滲む。体が痛いとかしんどいとかじゃないのに、どうして涙は出てくるのだろう。  誰か、その理由を教えてほしい。 「ごめん、なさい……」  激しく穿たれながら、震える唇で生まれて初めて口にする言葉を紡いだ瞬間、堰を切ったようにドッと涙が溢れた。 「許さないって言ってるだろうが! おまえは一生、俺にこうしていたぶられ続けるんだよ!」  叩きつけられるのが怒りに満ちたひどい言葉でも、慧にはもうわかってしまった。それが、悲しみの色をまとっていることを。 声を立てずに涙を落としながら、慧は請う。  誰か、どうか教えてほしい。  どうすれば、菅谷がもう一度笑ってくれるのか。どうすれば、自分も一緒に笑うことができるのか。  苦痛と快感に耐えしっかりと閉じる瞼に浮かぶ、クリームとブラウンの温かい店。慧を振り向き優しく微笑んでくれた菅谷の顔が、眩い光に霞んで次第に遠くなっていった。 ★ END ★ ※お題「鬼畜」「監禁」「調教」

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