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誓いのキス
大迫翔太のことを人に説明するとしたら、『天真爛漫』という単語しか浮かばない。
「おお~! すげーアジサイ! きれ~!」
今だって少しもじっとしていられず、その大きな瞳をキラキラと輝かせ、雨に濡れた大輪の紫陽花の元にパタパタと駆けて行く。
邪魔だと言って傘を差さない彼に、風邪をひいては大変とレインコートを着せたのは僕だ。
コートのフードをかぶった彼は後ろから見ると大きなテルテル坊主みたいで、ちょこまかとしたユーモラスな動きが笑いを誘う。
彼の所属する陸上部の活動が雨で中止になり、久しぶりに二人肩を並べる帰り道。ちょっと寄り道をしよう、と言い出したのは彼の方だ。
校内では常に多くの友人に囲まれている彼を、遠くから見守ることしかできない僕のもどかしさを察してくれたかのように。
陰鬱な霧雨も、彼の周囲では虹色に変わる。
「ほら! でんでん虫でんでん虫! でけぇ!」
と、手のひらに乗せたカタツムリを無邪気に差し出しす彼の笑顔に、僕の胸は癒され、同時に切なく引き絞られる。
気になって、惹かれて、どうしても見ずにはいられなくなって、気づいたときにはもう好きになっていた。勝手に膨れ上がる想いに内側から破裂してしまいそうで、どうとでもなれとやけっぱちで告白した。
緊張でガチガチになり、みっともない震え声で交際を申し込んだ僕に、彼は太陽みたいな笑顔を見せ、親指を立てて言った。
「いいぜ! 俺も好きだし。河本先輩、超かっけーもん!」
それから二ヶ月、僕らは傍から見ればさぞアンバランスだろう友人関係を保っている。
たまに、こうして一緒に帰る。たまに、僕が勉強を教える。よく笑い、よくしゃべる彼を、僕は微笑で相槌を打ちながらみつめる。
彼と共に過ごす至上のひとときは常に僕を舞い上がらせ、そして、苦しめる。
彼はきっと僕の告白を、本当の意味ではわかってくれていないのだ。
僕は彼の百人いる友達の中のただの一人。百人の中の何番目? と聞くことすら、臆病な僕には怖くてできない。
「大迫、カタツムリが怖がってるよ。戻してあげて」
「ん~? んん、よっと。ううっ、ぬめぬめする……」
「ほら、手をこっちに」
除菌ウェットティッシュで、彼の手を丹念に拭いてやる。僕がこんなものを携帯するようになったのも、彼のせいだ。 彼は気になったものは片っ端から何でも触って、いつもその手を泥だらけにしてしまうから。
小さい手のひら。細い指。こうして触れるたび、そのすべてが自分のものにならない切なさに、僕は秘かに息を吐く。
視線を感じて顔を上げると、大きな瞳がハッとしたようにパチパチと瞬かれた。
僕が彼の手を見ている間、彼はなぜか僕の顔を見ていたようだ。
えへへ、と恥ずかしそうに首をすくめた彼は、紫陽花に囲まれた道の奥、主もなく廃墟となった教会堂へと駆け込んで行った。
「こら、走ると危ないよ!」
暴れん坊は耳を貸さず、朽ちかけた教壇に飛び上がる。
「ねぇ、神父さんいねーの? もう、これから結婚式やんのにな。神父さ~ん!」
芝居気たっぷりに不在の神父を呼ぶ彼を、僕は傘をたたみ、笑って見守る。
「しょーがねーや、じゃーセルフ結婚式な! ねぇ、先輩、そこ立って! そうそう」
教壇の前に立たされて、僕は思わず苦笑する。 彼はたまに思い付きで、こういう変わった遊びをしかけてくるのだ。
「今日は一体何ごっこ?」
「笑うなよ、結婚式だって言ってんじゃん!」
彼は頬を膨らませ、咳払いをし、背筋を伸ばす。 スッと息を吸い込んで、よく通る綺麗な声を教会堂に響かせる。
「河本慎一さん。あなたは病気の時も元気なときも、腹が減ってるときも眠たいときも……あれ? 違う? とにかくどんなときも、 大迫翔太を好きでいて一緒にいることを誓いますか?」
「っ……」
「誓いますかっ?」
とっさに言葉が出なかった。
これは一体何のゲームなんだろう。何の冗談なんだろう。
でも壇上の彼は笑っていない。 大きな目を見開いて、僕の返事を待っている。
その眉がキュッと寄せられ、細い体が翻った。
しまった、返事が遅すぎた。
「待って!」
反対側の出口から駆け出て行こうとする彼を、僕はかろうじて捕まえる。
「だって俺、わかんねーよっ!」
いつも笑っている彼が、今はとても怒っている。彼に怒りをぶつけられたことのない僕は、とにかくひどく狼狽する。
「つきあって2ヶ月経つのになんもしねーし、 好きって言ってくれたのも最初だけでそれ以来ねーし、俺キレイじゃねーし色気もねーし頭わりーし、なんであんたがああいってくれたのかいまだにわかんねーし! なんか俺ばっか、こんな好きで……不安になっちゃわりーのかよ!」
見る見る潤んでくる瞳を、僕はただ唖然と見返す。
どうしてわからなかったんだろう。本当はこんなにも、好かれていたことを。
「違う。違うんだ、言い訳させてほしい! 僕は……いや、僕の方こそ、ずっと君を……」
大好きな彼の指が、うろたえる僕の胸元のタイを乱暴に掴んだ。
「言い訳なんかぶっこく前に、俺に誓いのチューをしろ!」
その瞳から涙が零れ落ちないように、僕はすばやく彼に口づけた。
しろ、と自分で言っておきながらポカンとする相手に微笑みかけると、照れたような笑顔が返され、僕の全身をじんわりとしあわせで満たす。
「I will.」
誓います、と彼の苦手な英語で告げて、花嫁のベールをめくるようにレインコートのフードを取った。
そして、もう一度キスをする。
そう、願わくは、死が二人を分かつまで。
初めてのキスは、彼の大好きなピーチグミの味がした。
☆ END ☆
お題:「雨」「紫陽花」「花嫁」
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