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100のねがい

 約束の時間より1時間も早く着いてしまったのは、気が急いて1本早い電車に乗ってしまったせいだ。俺と七星(ななほし)の住所の中間地点であるその小さなローカル駅は、平日の昼間ということもあってか、人気がほとんどなかった。  待ち合わせ場所に指定された駅前広場のオブジェの前に、七星がいないことを確認し、俺は安堵と落胆の両方を覚える。  あと1時間で、七星に会える。その声と笑顔が、現実に俺のものになる。  大きな期待とわずかな緊張に否応なく高鳴る胸を静めようと、俺は目を閉じる。  閉じた瞼に浮かぶのは、傷だらけの小さな手だ。整った綺麗な顔よりも、その手の方がなぜか、俺にとっては七星のイメージに近かった。  七星とは、ゲイの出会い掲示板で知り合った。  人肌が恋しくなるとそこに書き込みし、適当な相手をみつけて短期の関係を持つのが、俺にとっての『恋愛』だった。恋人という立場を盾に取られ束縛されるしがらみはうざいし、気を遣い合うのも面倒だ。 『お互いをよく知ることから始めませんか?』  そうメールしてきた七星にOKの返事をしたのは、ほんの気まぐれだったと思う。会ったら名前も聞かずホテルに直行という乾いた関係に、実は少しうんざりしていたのかもしれない。  メール不精の俺がそのうっとおしい関係を切りたいと思わなかったのは、ひとえに七星が『聞き上手』だったからだ。  バイトしながら写真家を目指すも、フォト新人賞を10回連続で落ちている俺の将来には、一筋の光も見えなかった。田舎の両親からはいい加減戻って家業を継げと言われ、とっくに就職した友人達は、そろそろ現実を見たらどうだと言いづらそうに助言してきた。  手の届かない光を目指してやみくもに走っていたら、いつのまにか、青くさい夢をみていられる年齢ではなくなっていたらしい。  顔の見えない相手には、本音をぶつけやすい。イラ立ちや焦り、日々の泣き言やくだらない愚痴のはけ口にさせられた七星は、さぞいい迷惑だったはずだ。  ところが彼は、荒れまくる俺のメールをいつでも寛容に受け止め、根気強く励まし、ときには優しく叱って、もう一度立ち上がる力をくれた。週1ペースでやり取りされるメールは、瀬戸際であがく荒んだ俺の胸を癒し、安らがせた。 『一生懸命夢を追いかける、ヒロトの姿は素敵です!』  口先だけのお愛想ではなく、七星は本当にそう思ってくれているようだった。  梅雨の最中新人賞の発表があり、俺はまた落選した。これが駄目なら実家に帰ろうとまで思いつめて挑んだ自信作だっただけに、そのショックは大きかった。  すべてに見放されたように感じ荒れまくる俺に、周囲は眉を寄せ顔を背けた。日頃からオープンマインドに接している七星には特にひどく当たり、慰めと励ましの言葉に「おまえなんかに何がわかる」と八つ当たり的な怒りをぶつけた。  これで愛想をつかされても、それはそれで仕方ない。そう思っていた。  もともと、わかっていたことだ。七星は、俺にはもったいなすぎる。  3日後、もう来ないだろうと思っていたメールが七星から届いた。添付された画像に、俺は目を見開いた。  画面いっぱいに写った小ぶりの笹。枝がしなるほど下がった、色も形もさまざまな短冊。小さな手がその一つを取り上げ、画面に向けている。 『ヒロトの夢が、どうかかないますように』  星形に切った短冊には、丁寧な字でそう書かれていた。持った手は荒れて傷だらけで、彼が日頃から相当過酷な労働に携わっていることを窺わせた。  画像には、短いメッセージが添えられていた。 『同じ願いを100枚書いてみました(^^) だからきっと、ヒロトの夢は天の川まで届くよ!』  落選通知を受け取って以来、俺は初めて声を上げて泣いた。  顔を見たこともない相手に、そばにいてほしいと思った。一生、一緒にいたいと思った。  特定の誰かを生涯のパートナーとして意識したのは、それが初めてだった。  画像を携帯の待受けにして、くじけそうになるとそれを眺め、がむしゃらにがんばった。その努力が実ってか、1年後念願の新人賞を獲得した俺は、受賞するまではとギリギリで我慢していたことをすぐに実行した。  自分の画像を添えて、七星に『会いたい』とメールを送ったのだ。  返事が2週間も開いたのは、悩んでいたのかもしれない。 『俺も会いたいです』というたった一言のメールには、彼の画像も添付されていた。ちょっと気取った微笑でポーズを取った小綺麗な青年は、短冊を持っていた傷だらけの手とはなんとなく重ならなかったが、いずれにせよどうでもよかった。 『器』は、俺には関係ない。ただ、すぐにでも、生身の七星が欲しかった。    近くの喫茶店で時間をつぶし、約束の5分前に駅に戻って来た。七星はまだ来ていない。  視線を感じ振り向くと、こちらを見ていたらしい小柄で痩せた若い男と目が合った。相手はすぐに顔を背けたが、目だけがやたらでかくクシャッとしたチンの子犬みたいな愛嬌のあるファニーフェイスが印象的で、記憶に残っていた。  確か彼は、1時間前もここにいた。ずっと、誰かを待っているのだろうか。  田舎者が精一杯がんばって洒落てきたといった感じの、チープなチェックのシャツと綿パンツは彼にあまり似合っていない。  さらに10分待ったが、七星は現れない。これ以上待たされたら、不安で心臓が破裂してしまうかもしれない。  俺は連絡用にと無理矢理聞き出していた携帯メールのアドレスに、今駅で待っている旨を打ち、送信ボタンを押した。  抜群のタイミングで近くから聴こえた着信音は『Fly Me to the Moon』、俺が七星に好きだと話していた曲だ。 「っ……!」  振り向いた方向には、茫然と立ちつくすチンの子犬。  逃げ出しかけた彼に追いついて、後ろから捕まえる。弱々しく抵抗する細い体を抱え込み、強張ったその手を強引に取った。  傷痕と豆だらけの、硬い小さな手。 『夢が叶いますように』と、100回書いてくれたのは、間違いない、この手だ。 「ごめん、俺……! ごめんなさい……!」  か細い声が耳に届き、感動で胸が震えた。 「おまえ、何で声かけないんだよ!」 「だって俺、嘘ついた……送った写真、友達のだから……」 「自分の送れよ! わかんなかっただろうが」 「俺ブサイクだから、俺の送ったら、ヒロトが来てくれないかと思ったから……」  小刻みに震える肩。声には涙の気配が混じり始める。 「遠くからちょっと見るだけで、諦めるつもりだったんだ。それで、もうヒロトとはさよならしようって。ヒロトはカッコイイし、受賞もしたし、俺にはもったいない人だよ。俺みたいなドブスなんかより……きっともっと……」 「バカかおまえ」  回した腕に力を込めると、腕の中の体が震える。ずっと焦がれていたぬくもりが伝わり、目の奥を熱くする。  欲しかったのはこれだ。魂ごと、この体全部だ。 「おまえにマジでつきあってくれって言うために、3時間も電車乗ってきた俺に待ちぼうけ食わせる気かよ? 冗談じゃないぜ。俺が好きなのは、ここにいるおまえだ。他の誰もいらない。欲しくない」  咽ぶような細い声が、彼の喉から洩れる 『落ち込んだときには、無理してでも笑おう。きっと明るい気分になってくるから』  そう言っていつも俺を励ましていた七星が、今手放しで泣いている。 「俺の夢が叶ったのは、おまえのおかげだ。だから次は、俺がおまえの夢を叶えてやる」 「それはっ、もう、大丈夫だから……っ」  しゃくり上げながら、七星は必死で言葉を繋ぐ。  大丈夫、俺の夢も叶ったから。たった今、叶ったから、と。  そうか。なら今日からは、俺の新しい願いを叶えよう。  それは、彼を、しあわせにすること。 「泣きやんだら、本名教えろよ」  頭を撫でてやりながら耳元で囁くと、恋人はまだ止まらない涙を拭い、何度も何度も頷いた。 ☆END☆ ※お題「七夕」「遠距離恋愛」「星」

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