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第3話

 客が引けた後の海の家。吹き抜けの座敷のぼろい長テーブルの横で、オレはごろりと寝そべる。海からの風が俺の髪を揺らしていた。夕方になってまばらになった海岸には、それでもまだ数人の人がいて、もうすぐ終わる夏を惜しんでいた。  勇魚が膝をついて、おぼんからやきそばをテーブルに置く。肘を後ろについて身体を持ち上げると、俺は微笑んだ。 「大盛りじゃん」 「もう、終わりだから」  氷を抜いたメロンソーダが赤いカップのふちぎりぎりまでついである。素早く一口すするのを勇魚はじっと見ていた。  行ってしまうと思っていた勇魚がその場所から動かない。  忙しくなれば俺がいるというのをあてにして、一緒に店をやっている勇魚のかあさんとばあちゃんは引き上げてしまっていた。だから、店番は勇魚だけなのに。 「どうした?」  声をかけると、びくりと肩が震えて、麦藁帽子の下のタオルが揺れる。薄い色のサングラスの下の目に涙が盛り上がっているように見えるのは、気のせいだろうか。ふいと視線が泳いで戻ってくる。はくっと開いた唇が震えながら閉じた。  いやな予感がした。  自分の目が眇められて行くのを感じる。そうすることで勇魚が怯えることを知っていても、不安を消すことが出来ない。 「今夜、話す」  小さな、声。  思わず手を伸ばした。その腕をつかむ。 「待てない」  今、聞かなければならないと思った。勇魚は今夜、来ないかもしれない。来るまでに何かを決めてしまうかもしれない。そうして逃した機会が俺達をどうにかしてしまうかもしれないのが怖かった。 「話せ」  泳ぐ視線。魚のようにぱくぱくと開く口を、白い肌に浮かぶ汗を、流れる涙を、俺は逃さずに見ていた。ひっく、ひっくと泣き声が漏れて、サングラスの下から流れ出す。  すいませんって声が店のほうでかかる。勇魚はぐすりと息を吸い込むと立ち上がろうとした。 「ここに、いろ」  勇魚を押して座らせると、俺は立ち上がった。勇魚の涙を誰にも見せたくない。店の客を捌いて、金をレジに突っ込むと座敷に戻った。勇魚はそこに膝をついて座っている。もう涙は流していなかった。けれど、夕日に照らされた目は真っ赤だ。  正面に座りたい気持ちをおさえて、隣に座った。  海からの強い潮風が俺達を揺らす。  だんだんと落ちてきた夕日が海に反射して、海を明るく見せていた。その下の暗い何かを見せもしないで。  落ちている沈黙に耐えられなくなったのか、はあ、と、勇魚は息を吐いた。震える声が言葉を紡ぐ。 「と、とうきょうに、いけ、って。大学に」  ショックだった。だけど、心のどこかで納得していた。ここでは勇魚は生きれない。海の太陽は勇魚を焼いて殺してしまうから。狭い町の好奇の目がいつか勇魚を切り刻むから。  出て行った方がいい。それが勇魚を変えてしまったとしても。それが、この指の先から勇魚を手放すことだったとしても。 「そっか」 「風太は、」  いいの?その途中で言葉は消えた。  嫌だと告げれば。  その考えが頭をよぎる。  でも、俺は言わなかった。言えなかった。  手を伸ばして赤い紙コップの少しぬるくなったソーダを啜る。 「がんばれよ」 「……うん」  聞こえる嗚咽。勇魚も気づいているんだ。それしかないって。抱きしめたいと思った。その髪を撫でたいって。だけど、まだ海には何人かの人がいて、それが俺たちを隔てていた。

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