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第8話

 その後出張自体は順調に進んだのだけれど、アニメオタクという秘密が了にバレたのを良いことに、あんなに時間厳守だった男はいくら予定が押していようとも必ず各空港のキャラクターショップだけは立ち寄った。  ぬいぐるみやらグッズを買い込んでいる後ろ姿を了は白い目で眺めていた。  翌週、日本本社に帰ってきた福嶋は鼻歌交じりに了に話しかける。 「今週金曜日の夜、会食をセッティングしといてください。計四名です」 「どなたとですか?」 「太田孝さんという方です。太い方のおおたに、考えるに似た漢字のたかし。プラスその方の部下一名」 「それと福嶋さんですね。あとお一人は?」 「了に決まってるじゃないですか」 「えええっ、僕もですか?」  接待なんて総務ではかつてやったことがない。 「当然です、私の秘書なんですから」 「僕…色仕掛け攻撃とかできませんよ」  秘書を接待に連れて行く理由はそれしか思い浮かばない。すぐさま福嶋がぷっと噴き出す。 「何寝ぼけたこと言ってるんですか。君、コリーノが十レベルで習得する『ビタミンEの波動』だって撃てないじゃないですか。そんなの誰も期待してませんよ、了はただいるだけでいいんです」 「できないですが、もし万が一習得したら絶対一番最初に福嶋さんめがけて撃ちますね」  出張中、長い時間一緒にいて色んな話をしたからか福嶋のことを怖いとはもうほとんど思わなくなっていた。  最近はこのくらいの軽口ならなんなく言える。  ぬいぐるみでにやけている姿を目撃してからは鬼軍曹だとビクつくのが馬鹿らしくなってしまったというのもある。 「店のご要望は?」 「特にないですが個室で、かしこまりすぎない所なら大丈夫です。あ、食事メニューは生卵以外でお願いします。すき焼きとかたまごかけご飯とか、生卵をそのまま食べるのがどうしても苦手で」 「わかりました。お店、探してみます」  金曜日、出向いたのは割烹料理店だった。  風情ある古民家の入り口にはのれんがかかっていて、店名のついたちょうちんだけが一つぶら下がっている。個室に通されれば中庭が見えるので圧迫感がない。 「わあ、雰囲気あっていいですね」  とりあえずこっちの反応は上々のようだと胸をなでおろす。折り紙鶴に模した箸置きをつまみあげて物珍しそうに観察する姿を見ると、日本語が流暢すぎて普段忘れがちであるがやっぱり違う文化圏で育ったんだなんだなあと感じる。  よく接待を組んでいるという営業の友人に助力を仰ぎ今日の店を選んでもらってもよかったのだが、自力で探した。  福嶋の弾んだ表情を見るとやっぱり自分でリサーチして良かったと思った。  自分のしたことで福嶋が喜ぶと満たされた気持ちになる。 「了、ちょっとこっち向いて」  いきなり中庭をバックにスマホで写真をパシャパシャ撮られた。 「な、なんですか?」 「二十四話でコリーノとカズが冒険する森が、ちょうどこんな雰囲気だったんです。記念撮影しとかないと」 「そろそろ怒りますよ?」  忠告は気にもせず、撮ったばかりのデータを確認し「わあーこの角度、可愛いなあ」と口元を緩めている。  出張以来福嶋はどんどん開き直っていて、この頃よくこういう風に突如写真に収められたり、ひどいときには頬をぐにぐに触られたりする。「可愛い」やら「尊い」をことあるごとに連発されるのだが、ぬいぐるみ扱いは非常に面白くない。  とろんと甘い瞳で見つめられるとこっちが勝手に緊張してしまうからだ。ストレートのくせに、ゲイに対し無防備にスキンシップを測るなんて、隠しているとはいえ残酷な男だと思う。  しかも顔面は俳優顔負けレベルで格好良いとくる。  怖いという感情はほぼなくなったけれど、平然を装うため今度は違う意味で気疲れする。  そこにウエイターが「お連れ様がまもなくおみえです」と言いに来た。  実はネットで事前に調べていて今日会う先方が大手ドラッグストアチェーンの代表取締役であることを知っていた。  了は一気に緊張する。  背筋をぴんと正していると横から腕が伸びてきて半端に垂れていた了の前髪を整え、耳にかけた。右左を確認して、軽く頷く。 「よし」  福嶋は自分よりも、なぜか了の見え方を気にしている。  発表会前の子供の身なりを入念に整えるような仕草に、いやいやどこの保護者ですかと突っ込みそうになったとき扉が開いて恰幅のいい二人が現れた。  お互いの自己紹介をして食事が始まった。  しかし予測していたような世界情勢やビジネスの話などは一向に出ない。三品、四品と箸が進む間ずっと取締役の趣味であるゴルフの話で始終場は盛り上がっている。  了はゴルフクラブを触ったことすらないのでそんな話題の間も貼り付けた笑顔で大げさに頷いているのが精一杯だ。  福嶋はうまく相槌を入れながら、アメリカでのスコアはどうだったとか、オススメの日本のゴルフショップなどを訊ね巧みに会話を先導している。そして先方は福嶋からしても随分年上であるのに、対等に接しそれでいて敬意を表した喋り方はなんとも絶妙で舌を巻く。  自分が福嶋の年齢に達したとして、こんなことができるようになっているとは想像しがたい。  とうとうコース料理が締めに入ったところで、おや、と先方がお茶漬けの横の小皿を指差す。 「これは…鯖のへしこかな?」 「はい、太田様が京都北部のご出身だとお聞き致しましたので、お品書きに加えて頂きました」  港町出身で鯖のへしこを状況するまではよく食べた、とネット新聞の記事に載っていたのだ。そして予約する際店に事情を伝えメニューを一部変えてもらった。 「よくリサーチしているね。こういう小さな気遣いが、おじさんたちは大好きなんだよ。うん、美味しい美味しい」  代表取締がにこにこしながらへしことお茶漬けを流し込んで、ようやく張り詰めていた気分が少しリラックスした。

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