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第9話
結局なんの目的の会食だったかは掴めないまま、店を後にする。帰り道で福嶋はご機嫌だった。
「了、今日はとても頑張ってくれましたね。大成功と言えるでしょう」
「そうなんですか? 具体的な話は何一つしてなかったですけど」
「会食なんて距離を縮められたらそれでいいんです。顔見て一緒に楽しく食事したってことが一番大切なんですよ」
そんなもんなんだろうか。ビジネス世界の交渉ごとは了にはよくわからない。
「しかも了は期待以上のパフォーマンスでしたよ。最後の料理、先方も大変気に入ってくれてましたしね」
「あ、ありがとうございます」
誰が見ても大半は福嶋の手柄だったという気はするが、素直に頭を下げた。降ってくる手に優しく頭を撫でられる。
「でも福嶋さん、僕に太田社長の正体あえて言わなかったですよね」
「大正解ー」
「やっぱり。意地悪いですよっ」
「むしろ親切心ですよ。私の口からそういう情報事前に渡しちゃうと、了の場合二百パーセントで緊張しちゃう可能性がありましたからね。がちがちに固まる了も最上級に可愛いですがその姿を楽しむのはオフィスで二人だけの時に限ります」
ちょっと聞き間違えれば独占欲をむき出した恋人のような言いぐさに、心がちくっと痛む。相手はただキャラ萌えしてるだけだとわかっていても、どうしても嬉しい気持ちを止められない。
だから了はわざと呆れた素振りで返した。
「悪趣味です」
「そんなこと言わないで。ほら、成功報酬に了にもカズのもちふわクッション買ってあげますから」
「全然いりません。せめてコリーノにしてください」
「だーめ。そしたら、主役が二人になっちゃうじゃない」
福嶋も酔っているのか、いつもより声が弾んでいる。
高層ビルがひしめく狭間で小さな夜空に向かって開放的な伸びをする背中を、恍惚と後ろから見ていた。
コートが冬の風にはためいてなんだか本当に浮き上がってしまいそうだ。ウキウキする大人って可愛いんだな、と発見する。
全部をそつなくこなす鉄仮面男の無邪気さを、たまにこうして見つけてしまうとやるせなくなった。
それ以上、完璧に塗り固められた笑顔の下にある素顔を見せないで、と目を逸らす。
魅力的に映ってしまうのを止められないから。
了は邪念を振り払うように首を振った。
「で、結局なんのための接待だったんですか?」
「セールス課佐藤さんの面談の時、商品流通が上手くいかなかったって話覚えていますか?」
「はい。取引先との間に確執があって商品の十分な陳列ができなかったとおっしゃってました」
「私自身も調べてみたらやはり佐藤さんの言っていた通りでした。なので、今日はそれの根回しです。単刀直入に一番上の首根っこ捕まえてやめてくださいって言っちゃえば早いですからね」
「あの、福嶋さん」
ふと気づいて問いかけてみるとこちらを振り返って
「ん?」と首を傾ける。そんなちょっとした仕草だって、なんでこんなにも絵になるんだろう。
「それって今後どんな順序であちらは決済が進むんでしょうか?」
「そりゃあトップダウンで太田社長からスパンと指示が行くんじゃないかな」
「それ、もう一度佐藤さんに同じ仕事を振って、決済を止めてた向こうの担当者に一から話を持ってった方がいいと…思います」
「…なぜですか?」
一手間面倒じゃない? とその顔は言っている。
「日本では何よりもメンツを気にする文化なので、あちらの担当者が、上から一方的な指示を受けると快く思わないんじゃないかなぁと…」
言っていて差し出がましいことに気づき、語尾がすぼんでいく。
「続きを聞かせて?」
しかし福嶋に咎める様子はないので思い切って考えを説明することにした。
「上と上が話しをしたとて下された決定を実際に動かすのはその担当者含めた現場です。もちろん決まった事柄には従うんでしょうが、内心ではどうでしょうか。そうしたら回り回って、結局また佐藤さんがやりにくかったり苦しくなったりするかもしれない」
「では了は、具体的にどうすればいいと考えますか?」
出た。面談で何度となく聞いてきた審議を問うセリフ。答えによっては細まった瞳から赤いレーザービームが飛ぶ。
「さっき言ったみたいに、面倒でもまず佐藤さんにもう一度正規ルートを踏んでもらったらどうでしょうか。ただし再度交渉するとき、太田社長の援護がある上で提案していることをちゃんとほのめかしたら、あちらも無下にノーとは言えないでしょう。とはいえ一応は向こうの担当者も自分が決定した、という事実は作れる。そしたら提案を実行する上でみんなが納得できるんじゃないかなあと」
福嶋は考える人みたいに腕を組み、人差し指をトントン顎に当てた。
「んー……なるほど」
パッと腕組みを解いたら今度は了の肩をぎゅっと掴む。
「言われてみたらその通りです。長期的にはそちらの方が断然円滑に進みますね。太田社長には一旦そのように話をしてみましょう」
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ、その考えは浮かばなかった。日本社会の風習やしきたりは時にわずらわしく、不必要なものがあります。でも了の提案は準じるべきことだと思いました。意見してくれてありがとう」
仕事の指摘はまだ毎日山のようにされている。だからこそ今日は褒められることが多くてなんだか調子が狂う。
顔が赤くなっていると自分でもわかったので、福嶋から視線をそらした。
入社してから三年間、仕事をこなしていく中で上司からの一言でこんなに誇らしくてむずがゆい気持ちになったことは今までになかった。
どんなに遅く帰ろうが睡眠時間を削って英文法の参考書を開くのも、友人に頼らず料理店を探したのも、全部福嶋に褒めて欲しくてやっていたことだったのだと気づく。
この上司の役に立ちたい、といつの頃か思うようになっている。
どうすればこの人の力になれるのだろう。
側にいて、いいのだろうか。
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