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第10話

「了は営業経験もないのに、よくその可能性に気づきましたね」 「僕の家、母と姉が二人もいるんですけど、父を置いて女三人でよく勝手に話が進んじゃうことが多いんです。父がそんな時よく一人でしゅんとしてて。あ、怒ったりとかはしないんですけど」  猛烈なる反論が返ってくるので、と付け加えると小気味よい笑い声がする。 「佐高家は、強い女系家族なんですね」 「強いどころか、人民が男二人だけのファシズム国家ですね。だから仕事でも関わったみんなが話に入った方が誰にとっても軋轢がないかなあと思いました」  さらに爆笑された。今日の福嶋は、良く話し良く笑う。 「了の流動的に他人と合わせられる性格は、間違いなくそこから来てるんでしょうねえ」  しみじみと言われて昔の記憶が頭をよぎった。 「…それは、果たして良いことなんでしょうか」 「良いことに決まってるじゃない。なぜです?」 「たまに合わせすぎてしまって、何に対しても主張がないと思われるようです。僕には僕の感情がちゃんとあるのに、自分でも知らないうちに傷ついていることがあります。相手も時にどこまで言っていいのか、僕に主張がはっきりしないからわかりずらいんでしょうね」 「具体的に何かあったんですか?」  高校生の時に一度だけ、同性のクラスメイトを好きだったことがある。仲の良かった友達で、どうしても気持ちを隠すことが難しく、相手には早々にバレてしまった。それから地獄の一年が続いた。  相手はストレートだったのに、了を拒絶することもなく思わせぶりな態度を取るようになったのだ。  期待すると落とされるの繰り返しは今思えば完全に遊ばれていた。  相手からすると、男から好かれるという特殊な状況が楽しかったのかもしれない。  でも了は、蜘蛛の糸よりも細い希望をたどってもしかしたら付き合えるかもと願っていた。  友人は学年が上がってさっさと可愛い年下の女の子と付き合い、無残に玉砕した。  ひどく傷ついたけれど、最後まで相手の態度を怒れなかった。  はっきり嫌だと言えなかった自分が悪いと自身を責めた。  それから恋はしていない。  相手が男であることは伏せながら、かいつまんで過去の経験を福嶋に話した。静かに昔話を聞き終えた後、福嶋はゆっくりと口を開く。 「了、私がなぜ今日了を大切な接待の場に連れて行ったと思いますか?」 「それは、福嶋さんの秘書だから」 「ってこの前は言いましたが、本当は違います。了は話している相手を無条件で和ませる力があります。それはまれな才能で、誰でも持ってるものじゃない。だから今日は絶対に同行してほしかった」 「そうだったんですか?」  そんな思惑があったなんて知らなかった。 「ええ。面談シートだってそうです。私は了に面談者の観察を言い渡しましたが目を通せば誰一人としてネガティブな要素を含んだプロファイリングは書かれていなかった。これってなかなか難しいことですよ」 「お言葉ですが…それは最初に言われていたのであって。ファクトのみと」 「私はね、了がファクトのみを伝えているとは言ってませんよ」 「え、そうでしたか? 気づきませんでした、すみません」  福嶋はやんわり首を振る。 「いいえ、どうしても個人の主観が入ってしまうのは当然なのでそこを責めてはいないんです、むしろ想定内だった。私が言いたいのは、その主観に否定的な表現が一切混じってなかったということ。どんなに緊迫した面談でも、終わって報告書を読んだら年季の入った指輪のこととか、持参したメモの量の多さとか本人の努力や良さをアピールするような書き方になっている。だから、この子は優しい子なんだなあと感心ました」  そんな風に見てくれていただなんて今の今まで知らなかった。  じんわりと心臓が熱くなるのは、アルコールのせいではなかった。自分でも気づかなかったことを見つけ出し、認めてくれた。  嬉しかった。  一つ一つ福嶋の言葉が単語に分解されて、淀んでいた心の池にゆっくりと溶け出し、水を綺麗に浄化させていくようだった。 「その相手が了の気持ちにあぐらをかいて、了を傷つけたのはただの向こうの器量の問題です。了自身の美徳とは何の関係もありません。ごちゃまぜにしては駄目です。了のどんな意見も尊重できる性格は私にとって、とても素敵な長所に映りますよ。大丈夫、自分の良いところに自信を持ってください」  そこまで言われて、少し泣きそうになってしまった。いつもの「コリーノ可愛い」という軽いタッチの賞賛ではなく、了の中身を理解した上で評価してくれたことに、目の奥が熱くなる。 「あ、ありがとうございます」 「そうだ」  福嶋は急に声のトーンを強くして、思いついた表情で了と目を合わせる。 「今から電話してその彼女に一言言ってやりましょう。僕が、了のどこが素晴らしいのか、どんなひどいことを了にしたのか、私が説明してあげます」 「何年前だと思ってるんですか。未練がましすぎますよ、やめてください」 「じゃあこれから家に行って直接訴えましょうか?」 「もっとだめです。福嶋さん、酔ってますね?」 「酔ってるかもしれませんが、ちゃんと本気です。だって大切な部下が無下にされることは、私だって我慢なりませんから」  真剣な表情とぶつかって、了はびくっと顔を伏せた。  大切な部下という言葉が体温を下げる。ほらやっぱりなんて落胆している。褒められて嬉しいのに、それ以上はないと釘をさされているようで、つらい。  仕事にめっぽう厳しくて、完璧な笑顔で人を凍らせることができて、でも意外と中身は優しくて、アニメオタクで無邪気な一面があって。  駄目だった。恋愛感情になんか到底ならないと、散々思っていたのに。  福嶋のことが、どうしようもなく好きになっていた。

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