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第16話

 盛り上がり切らず解散する輪を申し訳なく見送ったら、わなわなと震えながら福嶋を振り返る。 「福嶋さん……やってくれましたね」 「うん? 何が?」  首を傾げる福嶋はいつも以上に涼しい顔だ。 「しらばっくれてもだめですよ…接待での完璧な場回し術はどこいったんですか! 名司会者も唸る鮮やかな話題提示は? 心療内科医顔負けの絶妙な合いの手は? なんですかあのあからさまな対応、わざとらしすぎます。最後の方美保ちゃんもう涙目でしたよ?!」 「『美保ちゃん』」 「なんですかっ」 「了が女性を下の名前で呼ぶの、初めて聞いたので驚いただけです。それにしてもずいぶん仲よかったですね。ああいうの、日本語ではイチャイチャって言うんですよね?」 「違いますっ。名前は最初にそう決められたんだからしょうがないじゃないですか。あそこでひとりだけ名字呼びだったらすっごい空気読めないやつですよ」 「私には、訂正しても下の名では呼んでくれなかったくせに」  若干論点をずらしながら、すねたような言い方をするのでかちんとくる。 「福嶋さんは僕の上司でしょう、状況が違います」 「まぁたそんなこと言って。了は女性の趣味悪いですよ。あんな胸元開けた、色気だけが勝負の子がいいんですか? まあ向こうが了狙いなのは、バレバレでしたけどね」 「そういうことではなくっ。というか趣味悪いとか色気だけとか、さっきから美保ちゃんに失礼ですよ」 「あっまた美保ちゃんの肩持った」  再度埒の明かない言い争いに持って行こうとするのでイライラがマックスに達した。むすっと口を引き結び、福嶋を置いてさっさと大通りに向かう。  頭の回転が速くて良識も分別もある大人のくせに、今日に限ってなぜ子供っぽくつっかかるのかわからなかった。名前を呼ばない件にしたって、断ったらあっさり引いたくせに、ずっと根に持っていたみたいに今更言うのも卑怯だ。  後を福嶋が追いかけて来る。 「了ってば、怒ってるんですか?」 「そうです」  一定の距離を保ち追いつかれないため、了はもっと早足になる。怒っている理由は、福嶋がみんなの前でしかるべき社交性を発揮せず場の空気を悪くしたせいだと思っていたけれど、歩いているうちにそうじゃないと気づいた。誤解させないでほしいからだ。コリーノへの憧れや独占欲をこちらに向けないで欲しい。思わせぶりな態度はもう十分だ。そんなことを言われると、勘違いしそうになる。福嶋はただ純粋に、了のことをコリーノの代用品として見ているだけとわかりながら、その中に他意を探してしまいたくなる。勝手に舞い上がりたくないし、自分が福嶋の特別かもしれないと期待したくない。昔の二の舞になって、傷つけられるのは怖い。自分を福嶋は、もしかしてアニメキャラ以上に見ているかも知れないなんて期待したくない。  これ以上均衡を崩してはいけない。福嶋はストレートで、上司で、恋人もいて。障害が多すぎて望みなんてありゃしない。だからこのプロジェクトが終わるまで、せめてちゃんと信頼される部下でいなければ。 「福嶋さんは、すごく勝手です」 「待ってください、了」  駅へと続く歩道橋の階段を登り切ったところで勢いよく福嶋を振り返る。商業ビルと幾重にも繋がった長い橋の上で人間は水のように流れ、川角で福嶋と了だけが滞っている。 「揚げ足取る人とは話したくありません」 「揚げ足だって取りたくもなります。だって、あんなに簡単に了が美保ちゃんと距離を縮めていて。二人で盛り上がっていて。不愉快だったんです」  そんなことを臆面もなく打ち明ける福嶋に、限界だった。こっちの気も知らないで、馬鹿にするにもほどがある。了は抑えきれず大きな声を出した。 「ああそっちですかっ。美保ちゃんがそんなにお目当てだったなら僕に話しかけてるだけじゃなくて、もっと積極的になればよかったじゃないですかっ。一人でも二人でも好きなだけはべらせといてください!」 「違います。私は、彼女に了がとられると思って、嫌だったんです」 「はぁ? 何言ってるんですか?」 「私は…彼女に嫉妬していました」 「いい加減にしてくださいっ。僕は…僕は福嶋さんの専属動物じゃありません!」 「知っています。君はコリーノじゃない」  手首をつかまれた。そこから流れ出す福嶋の体温が思った以上に熱くて、そのまま動けなくなった。 「確かにコリーノは私の大好きなアニメのキャラクターで、了を初めて見たとき本当にカズの世界に自分も入ったみたいで嬉しかった。仕事だけの毎日に、了の存在は花を添えてくれました。でも次第にそれだけじゃなくなった。今は了の事をコリーノだと思うことなんて全くありません。了は了です」  福嶋の緑色の瞳がいつになく真剣にこちらを見据えていた。 「ずっと僕をコリーノだって、言い続けてたじゃないですか」 「そういうことにしておけば、おおっぴらに了に可愛いと発言できたし、触るのを不自然に思われない。下心を知られて警戒されたくなかった」 「ど、どうしてそんなこと…」 「了のことが、好きだからです。もちろん、特別な意味で」  いよいよ話がこんがらがって、頭の回線がショートを始める。 「う、嘘…」 「本当です。君が今日合コンに行くと聞いて一度は知らないふりをしようとした。でもだめでした。一分一秒が地獄のように長くて、いても立ってもいられず電話をかけました。了がどこの馬の骨かもわからない女の子に取られてしまうのが嫌だったからです。書類なんて言い訳。邪魔しに来たんです」  自分のことを、特別な意味で好き? そんな突拍子もないことを聞いたって正気とは思えなかった。何のためにそんな嘘を今つくのかわからない。その時、はっと昔の苦い記憶が蘇った。もしかして、どこかのタイミングで了をゲイだと気づき、からかっているのだろうか。福嶋を好きな気持ちは注意深く隠していたけれど、鋭い福嶋なら気づいたかも知れない。また面白がって思わせぶりな態度を取られているのだ。福嶋は誰かの気持ちをもてあそぶようなタイプに見えなかったけれど、やっぱり実際のゲイと接してみると珍しくて出来心が生まれてしまったのだ。かつての同級生がそうだったように。もしそうだとしても、一度目のように了は傷つきたくない。 「もういいです。知ってるんですから。この前の日曜…姉のドレス選びに付き合わされた日、福嶋さんがホテルで綺麗なロングヘアの女性と会ってたの、たまたま見ちゃったんです。恋人ですよね?」  福嶋が、目を剥く。初めて言いよどんだ。鉄仮面を崩さなかった男が、明らかに同様していた。了にはそれが何よりの答えだった。 「了、その人は…」 「ほらやっぱり。僕を最後にからかいたかったんでしょうが残念でしたね。離してくださいっ」  勢いよく腕を振り上げた。同時に反動で福嶋がバランスを崩す。そして、そのまま階段を踏み外してしまった。 「…っ…!」  福嶋が歩道橋を転げ落ちた。さあっと血の気が引くが、パニックになった頭では指一本動かすことが出来なかった。コンクリートに打ち付けられ、ぐったり身体を地面に預けている福嶋を見て、ようやく我に返り駆け下りる。 「ごごご、ごめんなさいっ、わ、わざとじゃないんです…」  了は泣きそうになりながら屈み、自分より大きな身体を起こした。 「福嶋さん、福嶋さん…」  ゆっくりと自力で手をついた福嶋は首を落ちた最初の階段に視線を合わせ、次に了と向き直った。顔は一切笑ってはおらず、その瞳は怒りを宿していた。 「了。君を解任します。明日から、もう私のオフィスには来ないでください」 「…す、すみませ…」 「正式な辞令は早急に」  頭を押さえ立ち上がってから、動作を無言で何度か確認する。震える了を置いて、福嶋はさっさと歩道橋の反対に消えて行った。  一人その場に取り残されて、了は絶望して地面に手をついた。  福嶋にひどいからかわれ方をされた。でも、それ以上に自分もひどいことをしてしまった。好きな人を肉体的に傷つけて、そして怒らせてしまったのだ。もう一生許されないだろう。  こんなつもりじゃなかった。穏やかに、笑顔で三ヶ月間ありがとうございましたと言うためだけに、今まで気持ちを隠して福嶋の隣にいたのに。  了は膝についた砂を払うことも出来ず、呆然としてしばらくその場を動くことが出来なかった。

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