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第19話

「今日の全社式は見てくれましたよね」 「あの、その前にこの前は本当に、福嶋さんを突き落とすつもりはなかったんです、ごめんなさい…」  了は小刻みに震えながら深く頭を下げた。沈黙の後、白くなるまで握りしめていた手を福嶋は優しく取って「了が謝る必要はありませんよ」と言った。 「私はあの時、了のせいで落ちたんではありません。了の後ろにいた他の誰かに押されたんです」 「ど、どういうことですか?」  了は瞬く。 「初めから説明しますね。私が三ヶ月前に日本に来た理由のひとつは了も知っての通り、日本支社経営悪化の原因究明。ふたつめが今後の経営改革を進めるプロジェクトチームを結成すること。人事においてなるべく広範囲で適正人物を見つけたかったので、全社員の個人面談をしていたんです」 「あの面談には、そんな意図があったんですね」 「はい。了の細かいメモの助けもあって、良い部隊が組めました。内示は一ヶ月前に済んでいるので明後日から始動です」 「僕、全く知りませんでした」  指示されながら簡単なデータ入力は色々させられたけれど、その数値や資料が何を表しどう使われるのかまでは、了にはわからないことだった。 「あえて了には私の仕事内容は伝えず、秘書に徹してもらっていました。詳細を話して巻き込んでしまうと、了の身に危険が及ぶ可能性があったからです。そしてこれが私の一番重要な任務、アンダーソン氏の理事着任を無事成功させることと関係します」 「全社式でお話になられていた…」 「そう。アンダーソン氏は外部の、しかも別業界からのヘッドハンティングでしたから、反対する社内の人間も沢山いました。トラブルを予想して、全社式で通達される直前まで着任は伏せておく事になっていました。同時に日本入国してもアンダーソン氏には全社式までホテルに雲隠れしてもらっていたんです。了が私たちを見たあの日は、ただの定期報告会をしていただけ。誤解されてもしょうがない場面をお見せしてしまいましたが、断じて言えます。彼女と私は了が想像してるような関係ではない」  福嶋は了の固まった拳を開かせると、自分の手のひらを重ね合わせた。 「でも、お二人ともずいぶんドレスアップされて、親密そうでしたが…」 「缶詰させられている代償に、せめて最上階のバーで会議したいとの指定でしたから、正装しないわけにはいかないでしょう? エスコートとは親密そうでなければならないものですし」 「そ、そんな…」  了は自分の勘違いに肩を落とした。女性に恋した経験がないから、男女が親密ならば当然そういうことなんだろうと思ってしまっていた。 「とにかく全てはこの人事決定に敵が多いことを懸念されての策でした。事実、私も着任当初から多少の嫌がらせは受けていましたから。まあ私の場合予想の範疇だったし構わなかったのですが、一番近い了が危険な目に合う事だけは絶対に避けたかった。だから君に問われてもアンダーソン氏の正体を言えなかったんです。更には突き落とすまで悪事があからさまになったので、あの場で了を一旦総務に戻す判断をしました。もはや了にも何かしかねない勢いでしたから」 「ぼ、僕はてっきり自分が福嶋さんを階段から落としたものだと…」 「あんな程度に払われたくらいじゃバランスなんて崩しませんよ。了は自分をどんな怪力だと思っているんです、鏡で自身の腰の細さ確認したことありますか?」  ちょっと茶化した目をする。確かに筋肉はつきにくいし体格は良くないけれど。 「でも福嶋さん、すっごく僕のこと睨んでたし…」 「君の後ろにいた影を、です。あの時説明不足な上会話がないがしろになってしまったこと、すみませんでした。ちょっと位置がずれてたら了も落ちたかも知れなかったと思ったら怒りが沸騰して、犯人を追いかけてしまいました」  福嶋はあの時、了に怒っていたわけではなかったことを知り、全身から力が抜けた。 「その人、捕まえたんですか?」 「人通りが多すぎてだめでした。でも見つけたら半殺しにしてたところだったので、逆によかったです。まあ発表も済んだし今後は落ち着くことでしょう」  さらっと怖いことを言う。笑顔が凍っているのできっと本気だ。 「さて、ここからが今日了をここに呼んだ本題です。あの時の告白の続きを改めてしてもいいでしょうか。了、私はあなたのことが好きです」  福嶋はソファから腰を浮かし、了の前に膝をついた。まるで許しを請うような格好になった。 「予定では、全てが無事終わってから落ち着いて思いを伝えるつもりでいました。しかし合コンと聞いて焦るあまり了の友人たちの前で馬鹿な振る舞いをしてしまった。子供っぽい嫉妬で了を怒らせてしまったこと、反省しています。言い争いになる前に素直に謝ればよかったのにあの時は私も感情を抑える事が難しくて、引かないで無理矢理告白してしまいました。唐突で、驚かせてしまいごめんなさい」 「じゃあ、僕をからかわれてたわけじゃ、ないんですね…」 「了がそう思っても仕方ないですね。もっと慎重に思いを伝えるべきだった。本当に愚かでした。でも了への思いに偽りはありません。自分を見失うくらい、了のことがどうしようもなく好きなんです」 「あ、あの、そもそもなんですがアンダーソンさんが恋人じゃなくても…福嶋さんはゲイじゃないんですよね?」 「私は誰かを好きになったら性別は関係ありません。バイというよりも、パンセクシュアルという単語を使います。前に言いましたよね、妹の結婚式の話。新婦の友人は私の好きな人でした」 「取られて悲しかったって、妹さんではなく友人の方だったんですか?」 「そうですよ」  福嶋のことをストレートだと思っていた理由も、こんなに格好良い外見ならば女性に困らなかっただろうという一点だけで、根拠はなかった。思えば偏見もいいとこだ。 「了のことは前話したように、最初は優しくて素直な子だなあと思って見てました。私の反応に怯えながらも必死に仕事を成し遂げようとしている姿が微笑ましくて、ちょっと意地悪してわざときつく当たってみたり。でも段々本気で目が離せなくなっていていた。了の過去の恋愛を聞いて、なんでこんな魅力的な子を傷つけるんだと知りもしない相手に腹が立ったと同時に、君への気持ちをはっきり自覚しました。いつの間にかコリーノグッズを集めるのはコリーノが好きだからではなく、コリーノが了に似てるからになっていた。理由が逆転していたんです。携帯で君の写真をやたら撮ってたのも、家で君を見てにやつくためです」 「に、にやつくって…」  どんな顔で一人、了の画像を見るためスマホを開いているのか想像がつかない。少し下にある福嶋の瞳を見つめると、からかう要素は何一つなかった。前回だってそうだったけれど、過去の苦い経験から勝手に誤解して信用できなかった。でも全てを明かしてもらい、今はちゃんと信じることができる。 「了の率直な気持ちを聞かせて貰えないでしょうか。さっき好きだと言ったのは、私の聞き間違い?」 「聞き間違い…じゃありません。ぼ、僕も、…福嶋さんの事が、好きです」 「…本当に?」 「はい。僕が昔失恋した相手なんですが、男性だったんです。福嶋さんが告白してくださったときも素直に受け止められなかったのは、ゲイだとバレて嗤われていると思ったからで…。好きだったからホテルで福嶋さんと女性の姿を見た時、とてもショックでした」  福嶋がうやうやしく了の頬を包み込んだ。  それだけで、顔から火を噴くくらい恥ずかしかったが、了もどうにか笑顔を返した。  すると福嶋は、ほっと安心したように大きく息を吐いた。 「よかった…了は私にたまに赤面したりするくせに、地道なアプローチは綺麗にスルーするから、実は響いてるのか響いてないのか判断しかねていたんです」 「地道なアプローチ、ですか?」  された覚えがないので首をひねって返す。 「君のことをみんなの前で離したくないって宣言してみたり、いつでも胸に飛び込んでおいでって言ってみたりね」 「あ! あの時はいろんな感情が整理できなくて、いっぱいいっぱいで…」 「つまり鈍感な了のため、もうちょっと直接的な行動に出れば良かったということですね」 「直接的?」  了の問いに答えるように、立て膝になった福嶋に下から不意に顔を近づけられた。唇が重なって、心臓が破裂するかと思うほど高鳴った。 「こういうこと」  かすかに唇が触れる距離でしっとりささやかれて気絶しそうだった。完全プライベートの福嶋にも福嶋の匂いで満たされた空間にも慣れていないのに、いきなり刺激が強すぎる。ぎこちなく了は唇を離す。 「あの…福嶋さんとなら、米本社に戻られてからも遠距離恋愛でも、頑張りたいです。アメリカは飛行機でとっても遠いけど今は色々顔見て電話とかできるし…もちろんすごく不安ですが…」 「遠距離? 私はこれから少なくとも三年は日本にいますよ。戦闘部隊作るだけ作っておいて、任せっきりにはいきませんからね。アンダーソン氏の意見を反映して、実質私が経営改革チームの指揮を取ります」 「え、あ、そうなんですか…? そういえば部屋が全然荷造りされてないとは思っていました」  絶対に実らない恋だと諦めていたのに、いきなり好きな人と結ばれた上この先も近くにいられるなんて信じられない。一生分の運を今使い果たしてしまいそうだ。 「ですから、二人で近距離恋愛を頑張りましょう」

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