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黒鳥の湖 64
「大神社長、こちらでしたか!急な事でしたのに本日はお忙しい中、ありがとうございます。尊臣も大変喜んでおりました」
「いや、駆け付けない訳がないでしょう、弟君の御婚約おめでとうございます」
幾つか型通りのやり取りをした後、物言いたげに大神と呼ばれた男の視線がオレの方を見る、視線を向けられただけで何かされたわけでもないのになぜだか飛び上がりたくなってしまって、冷や汗が背中を伝うのに身を震わせた。
鋭い視線に晒されて、どこかに隠れたくて仕方がなくて、でも逃げられずに思わず時宝を探すけれど、この人ごみの中では見つけられずに心細さだけが募る。
ただの視線がこれほど怖いと感じることがあるなんて思わなかった。
「ところでこちらは……」
「兄の招待客です」
それだけの説明で奏朝が言葉を区切ったのに何かを感じ取ったのか、大神は薄く笑ってそれ以上は何も追及しては来ない。
それがこう言う場所での礼儀なのだと気付かされて、自分の説明をせずに済んだことにほっと胸を撫で下ろすと、丁度タイミングよく新しいシャンパンを持った男が帰って来たのをきっかけに、大神は「では」と言って立ち去って行く。
人込みの中でも頭一つ分抜きでた身長はやけに目を引いて、結局話も何もできなかった小柄な女性とにこやかに話をしながら遠のいていく姿を追いかけるのに苦労は必要なかった。
見つめられた際の動悸と冷や汗が治らず、手の中のシャンパンの泡の数を数えて心を落ち着けようとしていると、
「あの人が旦那様?」
そう尋ねてくる奏朝の声は固く、オレが向けていたのと同じ方向を見ながら緊張しているようだった。
「いえ……多分、一人でいたのを気にかけてくださっただけだと」
あの少女も本当に話し相手が必要だった と言うわけじゃないんだろう。
「……そう そっか、よかった」
あからさまにほっとした様子を見せ、奏朝は自分のシャンパンに口をつける。
「お偉いさん達を呼んでみたんだけどさぁ……旦那様はいないの?」
「はい」
「ホントにいない?」
やけに念を押されて、戸惑いながら首を振って見せた。
「 ────あ!朝兄ここにいた!」
問い詰められている とさえ感じるような会話を遮り、ぱたぱた とまるで子犬に走り寄られたかのような錯覚を起こしそうな勢いで駆け寄ってきたのは、他の客とは明らかに違う主役らしい華やかな衣装を身に纏った人物だった。
胸元に花まで挿して、普通なら衣装に着られてしまいそうなものだけれどそれをしっかりと着こなすだけの存在感に、思わず気後れしてびくりと体が固まる。
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