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雪虫2 31

「っ  こんな時におっさんっなんで遅れるんだよっ!」  どこにでもある普通の住宅で広さがあると言うわけではないのに、階段の一歩一歩が大きく広く感じられて、二階の廊下に出た時にはどうしてこんなに遠いんだと悪態を吐きたい気分だった。 「雪虫ーっ!」  絞り出した声は反響せず、しっかりと施錠されて開かなかった雪虫の部屋のドアから吹き込む風に押し返される。  いつもカーテンが引かれて日光なんて入らないはずなのに、入り口から漏れる光は強くて…… 「雪虫っ‼」  ただただ名前を呼びながら部屋に飛び込むと、みなわを押さえつけている瀬能がいて…… 「  雪虫っ」  開けられた窓から入り込んだ風に甘い匂いが混じる。  いつもいつも嗅いでいたいと渇望したそれが、逆光の中で誰かに抱えられているのが見えた。 「雪虫を放せっ」  何が起こったのかも、雪虫を抱え上げている男が誰なのかもわからない。  けれど、オレの最愛の、一番大事にしたい雪虫が他の人間の腕に抱えられていると言う事実が、その腕を切り落としてでも取り返したいと思わせる。  ぎりぎりと腹の底から湧き上がる嫉妬と怒りに促されるままに、走り出そうとした瞬間、 「  ────ストップ」  それは平坦な声だった。  なんてことはない、なんなら家の軋みに消えてしまうんじゃないかってほどの抑揚のない、そんな声。 「 は?」  なのに、足が何かに掴まれたようにつんのめってバランスが取れずにその場に倒れ込んだ。 「これ は 」  この感覚には覚えがあった。  繰り返し繰り返し体に覚え込ませるように大神が使ったアレ だ。  まるで魔法のようだ と面白がってはいたけれど、これは…… 「 っそ   」  ギリ……と奥歯を噛み締めて顔を上げると、真っ青な顔をしてこちらに手を伸ばす雪虫が目に入る。 「雪虫っ!」 「しず 」  開け放たれた窓から吹き込む風のせいで絹糸のような金色の髪が混ぜられて、その隙間から見える青い瞳には水の膜が見えた。  焼けた鉄に体が触れたのかと思うほど、体が震えて全身に鳥肌が立った。 「お まえっ!オレのオメガをっ泣かせやがってっ‼」  頭の中は真っ白だった。  自分以外の人間が、雪虫の……自分のΩの感情を揺らしたことにたまらなく腹が立つ。  飛び掛かろうとしたオレの耳に、またも「ストップ」と平坦な声が響いてきたけれど、これの対処方法は大神から嫌と言うほど学んでいた。

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