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苦い人生 3

   靴を履き替えなきゃ とか、そんなことは欠片も思いつかなくて、ただただ鼻をつんと刺激する涙を堪えるのに必死だった。 「 ────っ  待てって!」  交差点を飛び出そうとした時、ガクンと衝撃があって後ろに引っ張られる。  それによろけて倒れ込むオレの下で「はぁー……」って長い長い溜息と、抱き締めて来る腕の力強さに思わず息が止まった。 「  っ、走るのはえぇよっ!お前、陸上入ればよかったのに!」  そう喚く悌嗣の言葉がけたたましい大型トラックの音にかき消されそうになって…… 「な、な……なんで  」  睨むような顔つきで大きな音を立てるトラックを見遣ってから、悌嗣はオレを見下ろして弾む息を無視して大きく一つ息を吸い込んだ。 「  好きなんだけど!」 「えっ」 「俺、ヒタのことが好きなんだ!」  ぎゅうって汗ばむ手がオレをきつくきつく抱き締めて痛いくらいだった。 「でも、オレ……オメガなんだよ」 「だから!ヒタがオメガなら、俺のことも恋愛対象に入るってことだろ⁉」 「だって、オメガ……」  きつくきつくオレを抱き締めながら、悌嗣はそんなことどうでもいい ってはっきりと言ってくれた。    懐かしいあの日の夢だった。  あれから、何年だったかな……指を数えようとして欠伸が出たから諦める。 「えっと……あー……晩飯どうすっかな」  オレにとっては朝ご飯だけど、悌嗣にとっては夕飯だ。 「んーその前に洗濯取り込むか……」  そうぼやき、むず痒い気のする顎髭を掻きながらベランダへと向かうと、日差しの和らいだいい天気が見える。  桜の散り始めなのが見えることに気が付いて、この景色が五年目だから十年に足らないくらい前の話だってことに気が付いた。  あの日、悌嗣がオレを掴まえて相思相愛になってから十年。 「長かったのか短かったのか」  オレは進学を諦めてつかたる市で暮らし始めて、悌嗣は大学を卒業してからつかたる市で就職して同棲を始めた。  ……β性の悌嗣にはなんの旨味もないだろうに、家族の反対を押し切る形でオレに合わせてここに来てくれたんだ。  ずっと好きだって言ってくれてる。  ずっと愛してるって言ってくれてる。  甘い甘い、生活が続いている。 「だから、大丈夫だよな」  ベランダに凭れながらそう呻くと、滲むような青い空だけが見えた。  

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