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乞い願い慕い犯す 44
父の車の音がして、母がさっと輪になった紐を首にかけているのが夕日の中に見えた。
「あの人だって、私が死ぬほど後悔してるってわかれば許してくれるんだから 結局、アルファはオメガに甘いのよ」
夕日の輝きに上からぶら下がった紐が消えたり現れたりを繰り返す。
きらきらと輝く逆光の中で母の口元はうっすらと笑っていて……
細い足が乗った椅子を蹴り倒したのは、どうしてだったのか今でもわからない。
椅子が転がった瞬間に上がりそうで掻き消えた悲鳴と、もがき続ける足と、私を見下ろした血走る目と……
ぎぃぎぃと揺れる母の体が動きを止めるまでに、そう時間はかからなかった。
「…………」
カツンカツンと携帯電話の角をぶつけ続ける私は、傍から見ると奇妙に見えただろう。
幸いにも、ここには私一人だからそれを思う人もいないわけだが……
「オメガの本性を知らない方が幸せなのか……知った方が幸いなのか」
彼の理想とする杠葉のままでいさせてやればよかったのか、
それともすぐに真実を知らせてやればよかったのか、
どちらが彼のためになったのかは未だに答えは出ないけれど……
「…………もう、こんな時間か」
目を遣った先には、今にも擂り潰されそうなほどの明かりを残して沈みつつある夕日がある。
暗い部屋の中、あれほど蔑んだ母の死を嘆く身勝手な父の声を思い出しそうになって……
「しかたないな」
気だるげな声に自分自身で驚いたけれど、どうしようもない。
立ち上がって、先ほどまで腰を下ろしていた椅子を引き摺って行く。
フローリングに椅子の足が擦れて、静まり返った部屋に奇妙な音が響いた。
「…………」
消えゆく光のせいで、濃く落ちた影の中の部屋は夜よりも暗く見える。
「 よっと」
椅子に片足をかけ、一気にその上に立ち上がると急に身長が伸びたような、遥か昔に父の肩に乗せてもらった瞬間のような感覚を思い出した。
あの頃は父は母の不貞を知らなかったし、母は不貞がバレるとも思っていなかった頃だ。
「──── ああ、そんなこともあったな」
ぽつんと言葉を漏らした時、とうとう最後の光が消え去って世界は静謐に満たされた。
END.
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