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落ち穂拾い的な 仙内の名前
ノックの音に顔を上げると約束の時間だ。
相変わらずの正確さと言うか、几帳面さに苦笑が漏れる。
「開いてるよ」
いつも通りの返事をすると扉が開いて、僕には普通サイズだけれど随分と窮屈そうに大神がその扉を潜って入ってきた。
初めて会った時は愛らしいと表現してもいいような、利発で小さな少年だったけれど今ではその姿はすっかり掻き消えてしまっている。
友人である大神悟によく似ていると、見上げる度に思う。
「片付けご苦労様。お茶でも?」
「ええ、いただきます」
返事をする響きのいい低い声も、電話だと大神の父親と区別がつかないかもしれない。
そんなことを思いながら部屋の隅にあるケトルでインスタントコーヒーを淹れる。
しずるが淹れたものならまだしも、自分の淹れたものが彼の口に合うのか甚だ疑問だったが彼が出されたものを残したことはなかった。
「それで?今回のことでちょっとは進みそうかな?」
彼が行っているΩの保護と言う荒唐無稽なことを皮肉ってやりたい気もしたけれど、決して茶化していいものでないと言葉を飲み込んだ。
「どうでしょうか。結局、みなわから入手した情報も……」
小さく鼻で笑う音が聞こえる。
僕の差し出したカップを受け取りながら、大神はそれでなくとも険のある顔をさらにしかめてみせた。
「仙内、和歌」
呟くのは僕達がブギーマンと呼んでいる存在だ。
多くのΩの失踪に関わっているために、ベッド下の怪人のようだと言ったのがきっかけだった。
やっとその本名だけでも知ることができた と思っていたのだけれど。
「上も下も、共に偽名でしょうね」
珍しく煙ではなく溜息を吐き出すと、大神はそろりとカップに口をつけて琥珀色の液体を飲み下す。
「そうかい」
「せんない、あえか。どちらも儚いと言う意味です。みなわもそうだ」
「あー……源氏名は仙内がつけたって言ってたね」
口の中で三つの言葉を呟き、それらの持つ意味についてふむと肩をすくめた。
偶然と言ってしまえば言えてしまえるけれど、大神が気にかかったと言うことはそれで間違いはないんだろう。
この男の、そう言った本能と言った部分で感じる違和が外れたことはない。
「そうか」
みなわに言わせると、仙内は運命の相手だと言う。
だと言うのに、仙内はどうして他の人間にみなわを触れさせるような職業に就かせたのか?
独占欲だけで言うなら、αのそれは男女のそれよりもはるかに強力で、しかもそれが運命と言うのなら囲い込んで人目にすら晒したくないと言う話も珍しくはないと言うのに……
性癖、と言ってしまうのは簡単だろうけれど、それなら傍にいないと言うのは腑に落ちない。
しずるがそうだったように、αは運命の番の項を噛みたくて仕方がないはずだ。
それこそ狂ったように求めて、求めて、求めて……それは呼吸をするように当然のことなのだから。
それを拒絶すると言うことは……
「……よほどの、何かがあるのかな……」
そう呟いて意味ありげに大神の横顔を眺めた。
END.
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