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おはようからおやすみまで 24
「わかってるんだろ⁉」
そう問いかけるオレに対し、藪秋はいつも通りの笑顔でにこにこと笑い返すだけだ。
「あき!オレ……真剣なんだけど」
「俺も本気で言ってる。シゲルは可愛いって」
埒のあかないやりとりにオレは思わず体を起こして、藪秋の胸ぐらを掴む。
きっと、オレ以外の奴がこんなことをしたらただじゃすまない行為なのに、藪秋は怒るそぶりも見せなかった。
「子供のことだよ!」
「タマコな?」
「名前なんか知らない!」
叫んだオレをなだめるように抱き締めると、やはり小さな子供を寝かしつけるように背中をポンポンと優しく撫でつける。
「そうだな、そんなこと気にすんな。元気になってから考えればいい話だな」
その口調はどこまでも大人で、オレは藪秋との心の溝の深さを実感させられるようだった。
「………………」
「まずはゆっくり休め」
優しい手が背中を撫でるたびにいたたまれなくて、気づけばオレの体は震え始めていた。
どうして藪秋がこんなことをしてくれるのか……
それがわからなくて、心の奥底に閉じこめていたものがふつふつと溢れ出す。
「あきの子じゃない!」
突如上げたオレの声が消えると、病室は静まり返ってしまって……遠くからの物音も聞こえない。
今、そこはまさに棺桶の中のようだった。
「 ……ちがうんだ」
静謐さに押しつぶされてしまいそうなほど、自分の心が弱いのを痛感した。
秋藪だってわかっていたはずだ。
オメガの妊娠は、七か月。
七か月前にはオレ達の関係は何もなくて、ただ借金をした人間の子供とその借金取りと言うだけの間柄だった。
だから、藪秋があの子の父親であるはずがない。
そしてそれはオレを力ずくで押さえつけた奴らの誰かが、あの子父親と言うことだ。
「わかってただろ……?」
それを藪秋が気づかないはずもない。
「あきはあの子の父親なんかじゃないっ!」
言い出したくて言い出せなかった言葉を叫ぶと、ぷつりと糸か何かが切れてしまったかのようで……
「あの、っ……あの子っ……はっ……」
オレはうずくまるようにして泣き始めた。
これで藪秋との関係が終わるのだと、オレを安心させてくれていた腕が離れていってしまうのだと思ったら、どれだけその存在に依存していたのか理解してしまった。
この男がいなくなったら……もうオレは立つこともできないって……
藪秋に見捨てられたら、もうそれはオレにとって……
「 シゲル、シーゲル」
ぐいぐいと涙を拭う手は丁寧ではないけれど優しい。
いつも煙草の臭いが沁みついていた手なのに、気づけばその臭いはまったくしなくなっていた。
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