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赫砂の失楽園 15
オレが何も言わないでいると、そろそろと皿に残ったもう一つのおにぎりを差し出して、やはり窺うような表情をする。
「全部食べちゃっていいよ」
「kial?」
「あー……お客さま、だから。…………てか、あんた言葉わかってるだろ?いつまでそれで話してるの?」
コップの縁をカシカシと嚙みながら言ってやると、大袈裟なほど男は驚いた顔をしてからニコニコと笑った。
オレ達とは違う彫りの深い顔が嬉し気に歪むと男前がさらに男前になったように思えて、ついこちらが恥ずかしくなって視線を逸らす。
そして、男の爪先を見詰めたまま目を眇めた。
「バレちゃった」
「バレるよ。弟たちの言葉も全部理解してただろ」
視界の中で、零れ落ちる光の粒を見る。
「キミだって、ボクのことば、りかいしてるよね?」
「じゃないと会話は成立しないでしょ」
先ほどまでのやりとりを思い出して、傍から見たら滑稽だっただろうと眉間に皺を寄せた。
爪先から視線を外さずに、「警察に行くからね」と重ねて言う。
「いやぁ……それはどうだロ?」
「行くとまずいの?」
「マズ くはない。デモ、つまんない?」
赤い光の粒が風に吹かれたかのように揺らめく。
「……」
フェロモンの動きが変わった と言うことは、この男が何らかの心の動きをみせたと言うことだ。
そして経験上、この動き方は嘘をついている時に起こる。
「外人が、酔っ払ってもないのに倒れてる時点で大問題だ。自分で行くか、通報されるか だ」
携帯電話に手をかけているオレを深紅の瞳がひたと見据えた。
先ほどまでは柔和に弧を描いていたと言うのに、今こちらを獲物のように見る目は捕食者のそれだ。
「…………」
「情けであんたを拾って、危ないのを承知でここに泊めた。そんなオレに何かするつもりか?」
「どうして、ジブンがソウだからと他人もゼンだとオモウ?」
じわ と滲むようにフェロモンが広がって……
触手のようにオレに向かって伸びてくるのを感じて後ずさる。
わずかでも男から距離をとって……
「──── あっ」
警察に連絡を と動かした手が握り締められた。
決して乱暴ではないし無理やりでもなかったはずなのに、男の手は覆い被さるようにオレの手の動きを封じてしまう。
オレとは違って、爪一枚の先の先にまで丁寧にケアされた手だ。
男らしい大きくて節のあるそれは女のような滑らかさではなく、無骨さを見せていたが明らかにあくせく働く人間の手ではなかった。
それは、この男が粗暴で犯罪に関わる可能性が低いとオレに思わせた一つでもある。
「ツカまえた」
耳元で、不思議な発音で聞かされる言葉は深い響きを持っていて……人を抗えなくさせる。
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