602 / 714
赫砂の失楽園 16
「haltu」
静かな声は聞き逃してしまいそうなほど小さいものだったのに、「haltu(とまれ)」は刺さるようにオレに届いた。
ひく と喉が引き攣る。
何か言い返して手を離して貰おうと思っていたのに、男の一言で体中の筋肉が軋みを上げて動きを止めた。
頭は動かそうと分かっているのに、さびついたロボットにでもなってしまったかのように、ギシギシと関節が音を立てるだけだ。
何が?
なんて、理解できるはずもないことを思いながら、男を睨み上げる。
オレよりも幾分も濃い肌の色と、獅子のたてがみのような金髪と同じ色の眉と睫毛、それからこちらを見下ろす美しい透明感のある赤い瞳……
深い顔立ちの異国めいた雰囲気は、彼がお忍びの石油王なのだと言われても信じてしまいそうになるほどの非現実感があった。
「やめ フェロモン ひっこめ ろ」
見詰められれば恋に落ちてしまいそうなほど魅力的な容姿だったけれど、今この状態がフェロモンによる拘束だってわかった瞬間、はっとなって抗った。
「ああ、ワカるんだ」
「んっ 匂い、濃く、すんなっ」
押さえつけられ、圧しかかられ、そんな状態のオレの上に男のフェロモンが降り注ぐ。
赤い、小さな紅玉の粒のようなものかサラサラ……サラサラ……と積もって行く様子はまるで音が聞こえるかのように鮮明だ。
いつもはその人の周りに見える色と言うふうにしか見えなかったフェロモンだっただけに、自分の肌の上に積もるように増えていくさまは不思議なものを見ている気分だった。
ここまではっきりとしたフェロモンは初めてだ。
いや、一度、これほどではないが息が詰まるような圧迫感を受けるフェロモンを見かけたことがあるけれど、それは遠目だった。
圧倒的な、支配者であるαのフェロモン。
「ひ ひと……っ人の上に立つ、人間が、何をして るんだ」
「 ⁉」
オレの言葉に男は驚いた素振りを見せ、見開いた目でまじまじとオレの体を頭の先から爪先までじっくりと眺め倒す。
視線に質量なんてないはずなのに、金の睫毛に縁どられた赤い瞳はオレ達と造りが違うのかまるで舐められているようだ。
「や なにを はな、離して ────ぁ」
匂いが肌を舐めていく。
さらさらと感触を伴って流れ落ちるそれに、服なんてあってないようなものだ。
男から降り注ぐそれが、柔らかに柔らかに肌を伝う。
「や ぁ、あ……ぁ、ぅんっ!」
服の隙間から滑り込んでは皮膚の薄い敏感な個所を撫で上げる。
まるで愛撫のようなそれにくらくらと目の回るような心地になって、つい腕の力が抜けてしまった。
ともだちにシェアしよう!