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赫砂の失楽園 24

「  ──── やめ  っ」  小さな悲鳴と共にサラリーマンがこちらへと投げ飛ばされて……  くたびれたスーツ同様のくたびれたその顔は、先ほどまでオレと値段の交渉をしていた男だ。  雑踏に消えて行って、もう戻ってくるとは……いや、連れ戻すことなんて不可能だと思っていただけに、オレもサラリーマンもお互いに驚いて顔を見合わせる。  サラリーマンを連れてきたのは明らかに一般人とは言い難い体格のいい黒服の男たちだ。 「それで、交渉内容を聞こうか」  問いではない、それは話すことが決定しているとでも言いたげな物言いだった。  普段なら何を言っているんだか……ととぼけもするのに、今にも喉から素直な言葉が飛び出してしまいそうになる。 「  ね、値段、値段を   」  言い淀んだサラリーマンの背を黒服の男が蹴りつけた。  決して大きな動作だとは思えなかったのに、盛大に地面に転がったサラリーマンがそろりとそこからこちらを見上げる。  怯えた両の目に映るのは赤く輝く光とそれにからめとられるかのように呆然としているオレだ。 「値段交渉を  その、サ、サービスのことで   」  フェラが幾らだ、本番が幾らだ、別料金でどこまでできるのか なんてことはさすがに口に出せなかったのか男はあえてはっきりと言わなかった。 「サービス?」 「それ は  」  こんな路地裏で、年の離れた、まったく接点がなさそうな二人がこそこそと話し合うサービスなんて誰だって内容がわかりそうなものなのに、サラリーマンがあえてそうしたようにこの男もあえて尋ねているようだった。 「せ、性的な」  背後の気配に怯えた男がぽつりと漏らす。 「ホテルで……どこまで……させてくれる、のか  」 「どこまで?」 「口、だけじゃなくて、そっちも使わせて、くれるのか、とか、  服、も、着替えて、くれたりとか、 ゴム は、なしで    っ」  ゴン と鈍い音と共に男がもんどりうって倒れてしまう。  男が長い脚でオレの後ろからサラリーマンを蹴り上げたのだと分かったのは、黒服の男たちがサラリーマンを引きずり始めた時だった。    突き飛ばすようにして投げ入れられた部屋の床には、ふかふかとした絨毯が敷かれている。 「……」  もう、それだけで十分だった。  いつも客と入る安いラブホの踏み固められて固くなった絨毯ではないそれは、細かな模様が複雑に絡み合って見ているだけでめまいを起こしそうだ。  顔を上げた先にある景色なんて知りたくもない。 「どうした?安ホテルは不満か?」  オレを追い越してさっさと部屋の奥に向かう男の足元だけを見る。

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