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赫砂の失楽園 48

「あ……あんた……オレに一体なにした⁉」 「口づけを。ハジメも許してくれただろう?」  ゆる……許したのは間違いなかった。  突拍子もないことばかりが起こって、見たこともないような高級車に放り込まれて、この男に至近距離で許しをねだられて……  くらくらするようなフェロモンの奔流を…… 「 ────っ」  再びオレを抱きしめようとする腕から逃げるように身を引くと、男は弟が幼い頃にしたようにこてんと首を倒して理解できないと言うことをオレに教える。  自分自身から、オレが逃げようとするのが理解できない と。  それは我儘や執着などではなく、それを知らずに生きてきた人間の行動だととっさに思った。  この男は手に入らないものはないし、手にできないものもない、拒否されることもなければ、思い通りにいかないことなんて一切ない人生を歩んできたんだと……  まっすぐに澄んだ、砂漠を映す赤い目が物語る。 「オレ は……オレが許したのはキスだけで……」 「いや、それだけじゃないだろう?」 「は?……ちが……こんなところに連れてきていいなんて……」  強い風にあおられて日差し除けの布が舞い上がりそうになる。  それに気を取られた瞬間、男の手がオレを捕まえて再び腕の中へと抱き込んだ。 「君は私を受け入れた」 「そんなことしてない!」 「いいや、君はその身に私、アルノリト・セルジュ・ヴェネジクトヴィチ・ヴィレール・ルチャザの胤を受けた」 「た   」  あまりにもな物言いに思わずあわあわと口を開くが、言葉がうまく出ずに慌てふためく。  胤……種……  オレの腹の中にこの男の精子が入った と。 「願うならば、もうこの中に新たな神たちが存在するとよいのだが」  そう言うと男(名前なんて長すぎて記憶に残らなかった)はオレの腹を愛おし気に撫でる。 「君の身は、もうすでに君一人のものではないのだ」 「そんなわけない!」 「いいや、君は次のヒートで私の番となり、このルチャザの次期王を身に宿すんだ」 「は⁉ はぁぁぁぁ⁉ いい加減にしてくれっ! オレはベータだって何度も言ったっ! ベータは妊娠できない!l子供は作れないんだよっ!」  巻きあがる風に負けないほどの大声で怒鳴り上げると、わんわんと風が言葉を弄びながらかき消していく。  けれどそれは同時に男の顔から表情を奪っていて……  こちらに向けられている時は酷く魅力的で、覗き込めばその双眸に囚われてしまうとわかる瞳が、硬質な……まるで冷えて固まった血のようのような冷やかさを含んでいる。

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