640 / 714
赫砂の失楽園 54
オレは、目の前にひざまずいたアルノリトの顔を……
「さすがに王太子を蹴りつけた者を見逃すわけにはいきませんので」
気まずいまま視線を逸らすと、泣きそうな顔をしたエマがこちらを見ている。
嘘でも違うよー怖くないよーと言ってやりたかったが、こんなところにいるのだからそんな言葉なんて吹かれる木の葉よりもはかないに違いない。
「で?オレは笞刑?それとも黥刑?臏刑は勘弁して欲しいな」
はぁーとブランの重いため息が返ってくる。
牢屋に入っているのに歓待されていると言う状況からポロリと出た軽口だったが、それを吹き飛ばすほどそのため息は重かった。
「は……?何……」
「打ち首を望まれております」
「は?」
「王国側といたしましては、次期とは言え国王に怪我をさせた犯罪者に手心を加える気は一切なく……」
「……それで、首を切るって?」
できるだけ怒声で返そうとしたはずなのに、オレの言葉はみっともなく震えている。
どこかで侮っていたんだ。
突然夢のような世界に放り込まれて、
突然王子に求婚されて、
なんだか世界の主人公になったような気になったのが悪かったんだろう。
金はなくて、守るべきものがあって、この体はいろんな奴らに抱かれて汚れまくってる。
そんな人間がちやほやされて、人生が平穏なんだって、安穏と過ごしていけるんだって勘違いしてしまった。
いつも薄氷を踏むように気をつけていかなければならなかったのに、それをしなかったためにオレは命の危機に瀕しているし、弟たちは働き手を失って……ばらばらの施設に入れられるか、もしくは餓死だ。
「…………」
あんな男の、フェロモンに惑わされて頷いたりしなければ……
「日本大使館に連絡を取らせてくれ」
「いいえ、ハジメ様は記録上日本にいらっしゃいます」
「オレはここにいる!オレが説明する!ルチャザの王子にゆう……」
ブランの浮かべるアルカイックスマイルは、優しげに見えて他人の意見を一切聞かないと言う鉄壁の仮面だ。
「そんなこと……できないって?」
声は先ほどよりも上ずってしまっていた。
「ええ、貴方はここにいらっしゃいません」
いない人間を、国は救ってはくれない……と言うことだ。
牢屋に入れられた時にだって感じなかった震えがぞわぞわと足元から駆け上がってくる。
絨毯も敷かれていて寒くもないと思っていたのに、急に吹き込む風が冷たく感じられるようになってきた。
オレを見つめる丸眼鏡の奥のオッドアイが……
憐れみを含みながらもひやりとした温度を伝えてくる。
ともだちにシェアしよう!