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赫砂の失楽園 58

「……っ」  眇めすぎた目の目頭をぎゅっと押してから、もう一度目を凝らす。  エマが……動いた先を……  向かった先は渡り廊下だった。  足を踏み出した途端、今まで感じたことがないほどの花の濃密な匂いがして一瞬息が詰まりそうになったほどだ。  月夜の中に白い優美な曲線の柱が続いて、それが周りの緑を映えさせているからか別世界かと思うほど神秘的だった。  様式なんてわからなかったけれど、白い表面を伝い落ちる光の流れに思わず視線を奪われる。  見たこともない……一生オレが知らなかっただろう景色。 「…………」  纏わりつく深い夜の気配とそれからここがオレの知っている場所じゃないのだと知らしめる匂いに、膝が震えそうになって自分自身をぎゅっと抱きしめる。  ひそりした音の欠片もないそこは、実は死んだ先にある世界なんだと言われても信じてしまいそうで、思わず首をさすった。  切り落とすと言われたそれは確かにまだ自分の体に引っ付いて、脈だってあるはずなのに冷たい指先ではいくら探ってもわからない。  いきなり異国に誘拐されて、求婚を断って投獄されて……そして首を切られるなんて、非現実すぎることだったのに自分の脈がわからないと言うことがやけに現実を突きつけてきて……  歩き出そうとした足が震えてそこまでだった。   渡り廊下で嗅いだものではない華やかな香りに鼻をくすぐられてはっと意識が戻ったことに気がついた。   「は……⁉オレ……」  自分の冷たくなった手足と止まらなくなった震えまでは覚えていたけれど、そこからブツリと記憶が途切れてしまっている。  とっさに辺りを見回すも最後の記憶である渡り廊下でないことは確かで……  オレは幾重にも重なって垂れる紗の幕に囲まれた周りを見渡す。  そよそよと風に揺れるそれはクラゲに包まれているような錯覚を起こさせる。 「……ここ」  体を起こすために手をつけば、柔らかなクッションが敷き詰められていてその中から長い赤髪が零れていて…… 「っ⁉」  跳ねるように身をすくませると、そちら側にいたらしい人にぶつかった。  慌てて目をやると金色の短い波打つ髪で歯型のある首からなだらかに、真っ白な背中が続いている。  一糸まとわないが煽情的な雰囲気は一切なく、清潔感のある綺麗な体だとつい食い入るように見つめた。  穏やかな寝息に上下する背中は今にも天使の羽でも生えそうだ。 「あっ」  はっと自分の立場を思い出し状況を確認するために辺りを見回してみると、オレの他に三人がこのクッションだらけのベッドに横たわっているようだった。

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