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赫砂の失楽園 80

 広い背中に見入っていたせいか、アルノリトの声に自分が怒られたわけでもないのに思わず飛び上がってしまった。  けれど驚いたオレよりも更に驚いた顔をしていたのは、デスクから立ち上がったブランの方だ。  アルノリトを見て、オレを見て……はっと目を丸くする。  色の悪い顔でそろそろとアルノリトの前に進み出ると、ごく自然な動きで跪いて頭を下げた。 「tiu sinteno……その態度を取ると言うことは、私が何を聞きたいかもわかっているな?」  わざわざ日本語で尋ねると言うことは、オレがわかるようになんだろう。 「はい」  ぶるぶると震えるブランは、そのまま項垂れるように床に額をつけて「mi bedaŭras!」と叫び声をあげた。  言葉はわからないが、アルノリトの表情が険しくなったところを見るとよくない意味合いの単語なのかもしれない……と、握られたままの手に力を込める。 「それは日本語ではない」 「っ……も……申し訳ございません……」  謝罪を零したブランはそのまま許しを請うようにアルノリトの爪先に口づけをしようとするが、あっと思う間もなくアルノリトはそんなブランを拒絶した。  鈍い音が上がって、蹴り飛ばされて転がるブランは顔を伏したまま呻くばかりで…… 「  っ、す、ストップ!ストップだ!」  そう叫んで二人の間に入ってブランの具合を見ようと顔を覗き込む。  靴裏の汚れと蹴られたことにより赤みが頬に広がって、見ただけでも痛々しい。 「ハジメ、退いて欲しい」 「け、怪我してる!ブランさんっ大丈夫ですか⁉」 「ハジメ!」 「怪我人に何をするんだ!」  そう言い返してアルノリトを振り返る。 「私の時は気にかけてくれなかった!」 「はぁー⁉」  人を思い切り蹴りつけておいた挙句にすねられて、オレはもうぽかんとするしかない。  ……あ、オレが蹴りつけたと言っても膝でぐいっと押したようなもんだったし、男兄弟なら小競り合いでよくする程度の接触だった。  けれどブランへのこれは明らかな暴力だ。 「さぁ、ハジメ。退いてくれ、私はこの国の王太子として部下の狡猾でずる賢い頭の中身を聞かなくてはならないんだ」  じり と一歩こちらに向かってきたアルノリトは、オレの口のキスをしていた時のような甘やかな雰囲気はかけらもなかった。  張りつめた糸のような雰囲気に、息ぐるしくなってしまって思わず首元を撫でる。 「  ────それ、です」  このまま黙っているんじゃと思っていただけに、ブランがオレに対して何か言うことが奇妙に思えた。

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