691 / 714

赫砂の失楽園 105

 今にも潰れるんじゃ……と思わせるアパートを思い出して苦笑が漏れる。 「そうですね」  その通りだ。  豪華絢爛らあの場所よりも安心できるのは身を寄せ合っていないといけないような我が家で……だから、あの時の話はいつかまた笑い話になるかもしれないと、今は思うしかない。  バイトから帰ると皆寝静まっていて……  会話はめっきり減ったけれど、それでも弟達の面倒をみてきちんと寝かしつけてくれている流弐には感謝しかない。  狭い玄関を上がったところでやれやれと座り込んで、並んで眠っている兄弟を眺める。  よく、こんなところに王子様を連れてこようと思ったものだ。  あの時はそうとは思わなかったけれど、あの赤いフェロモンが一般人のはずがないと今なら思う。  でもそんなことも思えないほど魅入られてしまっていたのかもしれない。 「  ──── 愛からすべては始まった  」  そう教えを説く癖に愛ではどうにもならなかったのだから、やっぱりオレは両親の信仰しているモナスート教は好きになれない。  いや、両親ならば今回の出来事は愛が足りなかったから始まらなかったのだとでも涙ながらに言うだろうか?それで一緒に祈ったとして愛はオレの性別を変えてなんてくれない。 「まぁ、……相談なんかしないんだろうけど」  もう終わったことだし、どうにもなりようのないことだったし と理解はしても心が追いついては来なかった。  全身で自分を求めて、これ以上ないほど熱烈に愛してくれたあの赤い瞳が……どうやっても頭から離れてくれない。   「他の奴に抱かれたら、少しは忘れられるかな」    ルチャザを離れる際に今回の迷惑料だとあの金髪碧眼の男から小切手を受け取った、向こうでは気にもかけない金額だっただろうが、オレにとっては驚くほどの金額が書かれたそれのお陰で当分は街角に立たなくてもいい。  けれど……あの記憶を塗り込めて忘れられるなら……   「 ────っ」  気づかないうちに手が自分の引き出しに伸びる。  五段あるタンスのうちの、一番上の引き出しがオレのスペースで、そこにあの帰国しようとした時にアルノリトがかけてくれたショールが片付けてあった。  ショールの繊維に絡むようにあった赤い粒のようなフェロモンは、毎夜こうして眺めているせいかずいぶんと薄くなってしまって、もうよく目を凝らしてもその存在は曖昧になってしまっている。  残り香を探すなんて女々しいことを と思うし、同時にそれでもいいかなわずかでも残っていやしないかと食い入るようにそれを見つめた。  もともと、フェロモンが消えやすくて移りやすんだって知ってはいたのに、手の中のアルノリトのショールからその存在が消えると、どうして?と言う思いが強くなった。  

ともだちにシェアしよう!