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赫砂の失楽園 117

「ドクター……瀬能ですね」 「ああ。あー……なるほど、阿川くんが怯えるから何事かと思えば」  そう言うと胡散臭い笑みを口の端に乗せたままの瀬能はアルノリトに向かって頭を下げた。 「お初にお目にかかります、アルノリト・セルジュ・ヴェネジクトヴィチ・ヴィレール・ルチャザ王太子殿下」 「非公式ゆえに長い挨拶は結構、番を休ませたいので失礼する」  うまく事情を呑み込めないままのオレを抱き上げると、アルノリトはその一言だけで瀬能に背を向けてしまう。 「適度な運動も必要ですよ」 「……承知した」  嬉しそうな音を含ませた声で振り返らずに言い、すたすたとまるで何事もなかったかのように黒塗りの車へと歩いて行くから、思わずジタバタと手足を動かして下ろせと抗議の声を上げた。  唐突に現れて唐突に抱き上げられて……  なんなんだ!  オレは、さっきまでこれからのことをどうしようかと悩んでいたって言うのに! 「では膝になら下ろそう」 「そ、そう言うんじゃなくて!」 「申し訳ないが、貴方達はリュウジと共に後続へ」  抗議なんてないかのように、アルノリトはカイ達に平坦な調子で告げてさっさとドアを閉めてしまった。  続いて乗り込もうとしていたカイ達は目の前で閉じられたドアに驚いた様子も見せたけれど、それも一瞬の話でにこにこと笑いながらオレに向かってひらひらと指先を振る。 「ちょ  っ……流弐は⁉」 「後からくる」 「そんっ……そんな! なに  んっ」  何を勝手なことを! と叫び出す前に触れてきた唇に言葉が吸われてしまった。 「ゃ、オレっオレはっ!許してない!」 「では口づける許可を」 「  っ」  ぐっと言葉が詰まってしまう。    そんなの、キスしてくれなんて言えるわけがない!  あの国を出て、やっとの思いで前を向いて生きていこうとした矢先だって言うのに! 「ハジメ、許しを」  そう言いつつもアルノリトの唇はオレの口のすぐ傍を啄むように動いている。  ほんの僅か……車が揺れてくれたらそれだけなのに、忌々しいことにこの車は体が揺れるようなほど振動を伝えては来ない。  焦れるように赤い瞳を見つめて……  屈する気分に顔をしかめながら絞り出すようにうめき声を上げた。 「ありがとう」 「ちが っ……いいなんて言ってな  っちょっ  」  しっとりとした肉厚な唇が覆いかぶさるように降ってきて、オレは呻いただけで許可なんか出してないって言おうとしたのに隙間なんてないくらいに吸い付かれてしまってはそんな声をあげることはできない。  うーうーと呻いてばたつくのに大きな体で抱きしめられるとただただしがみついているようにしかならない。

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