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赫砂の失楽園 119
うんともそうかとも返事はない。
ただ穏やかにオレを見つめ返して言葉をじっと待っていてくれる姿は、跪いて神に祈っているかのようにも見える。
「あのな? ……オレ…………」
腹に置かれた長い指がピクリと動く。
それが唯一、オレの言葉を急かした動作だった。
潰されていくボロアパートを呆然と見る。
今にも崩れそうで崩れなくて、弟達の大暴れにも耐えたアパートは思ったよりもあっさりと重機の前に屈服していく。
「危ないだろう?」
背後からそう声をかけられて振り向いた。
「なんだ、来てたんだ」
オレのそっけない言葉にアルノリトはちょっと不機嫌そうに口を引き結んでから、肩に手を伸ばしてくる。
「今週はこないかと思っていた」
するりと手から逃げると、不機嫌そうだった顔が泣きそうになって……
まるで縋るようにオレを追いかける。
「どうしても外せなかったんだ、不安にさせたんだな?すまなかった」
この、一般人丸出しの人間にぺこぺこと頭を下げている男が一国の王だと誰が思うだろうか?
情けない顔をしているアルノリトに苦笑をしてから、しかたなく腕の中に収まってやると嬉しそうに抱きしめてくる。
「名残惜しい?」
「そりゃ、育った家だったからね」
そう言うとなるほど……とアルノリトの視線も瓦礫になっていくアパートに向いた。
オレの妊娠がわかってから……実は何も変わってはいない。
いや、大きく変わったことは変わったのだけれど、オレの生活は変わってはいなかった。
日本にいて、弟達と暮らしている。
「ホテル暮らしは?不便はないか?」
「全然」
「気を遣うだろう?適当な家を買えばいいのに」
「いや、それ本末転倒だから」
オレも、オレの兄弟も、ついでに主治医も日本を離れられないと言ったために、それならせめて……と言うことでアパートを建て直してしまおうと言うことになった。
アルノリトの子が腹にいるのに向こうに行こうとしないオレに、ルチャザ国は無理強いをしなかった。
なぜなら……
「三人も良くしてくれるし、問題はないよ」
カイ達三人がオレの味方になってくれたからだ。
日本と違ってΩの地位が低くはないルチャザにおいてなお、あの三人は国王になったアルノリトが重きを置くほどの地位にいるのだと言う。
その三人がオレに侍従として仕えると言うことで無理やり押し通すようにして、オレの生活が守られている。
せめて、弟達に心の準備ができるまでは と言う約束で……
「私としては週末だけと言うのは……納得できない。向こうにいる時に何かあったらどうするつもりなんだ」
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