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3.ウサギとワニ
ビルの間に夕日が挟まって、窓ガラスが輝くせいで目が痛い。排水の匂いと鉄臭い生臭さが混ざってむせ返りそうだ。念のためさっきまで動いていたものを蹴飛ばしてみたがやはりもう死んでいるらしい。
そろそろ回収の時間だと思う。気になってスマホの画面を見ると王 のGPSの位置が見える。すぐ近くの交差点にいるらしいことがわかった。そちらの方に目線を向けるとちょうどこちらに歩いてきているところだった。
「あら………今日はパーティーでもしたんですか?楽しそうですね」
「まぁな。ちょっとダンス踊ってたわ」
手には大きな袋を持っていた。手伝ってくれと言わんばかりにその袋を差し出されてガルは苦笑いする。今日は派手にやってしまったから手が汚れそうだからだ。意外とこういう匂いは洗っても落ちなかったりする。一瞬でも嫌だなと思ったのがばれたのか、はたまたもともとその気だったのかはわからないが一緒に手袋も渡してくれた。
「新鮮なうちに持って帰りたいので、すみませんね」
「今日は腹いっぱい食えるだろうな~喜ぶぜ~?」
袋を広げて荒々しく肉片を突っ込んだ。二人とも表情を変えることなく作業している。それどころかこの悲惨な状況で会話が弾んでいるようにも見える。
「そういえば新しいお酒、入荷したんですよ、今夜どうですか?」
「まじか。店行けばいいか?」
生々しい音が裏路地に響いている。肉の裂ける音が。粘着質な液体の垂れる音が。
「ええ、営業中でもそのあとでも。飲みたいならキープしときますよ」
「どんなヤツ~?」
「赤ワインですね。パカレの2011年物です」
血抜きできていないため袋の重量はそれなりの重さだ。口を縛り、それを軽々と持ち上げてガルが車の方に歩きだした。
「ワインか、洒落てんじゃん」
「貴方はウィスキーばかり飲んでますからね。時々くらい違うのもいいんじゃないですか?」
袋の端から赤い液体が垂れている。その液体がガルの服を汚して、赤いバラを咲かせた。
「そうだなぁ…赤くてうまそうだぜ」
路地の手前に止まっているマセラティ・クアトロポルテのドアを開けた。中はびっくりするくらい厳重にブルーシートが敷いてある。来る前はこんなことはしてなかったし廃車にするだの言っていたはずだが気でも変わったのだろうか。
「気に入っちまったのか?このコ」
「まぁ相当な値段ですから?」
見え透いた嘘を聞くようなガルではなかった。どんなツテで、どういう経路で入手したとしても同じ車を何度も使って仕事をしてしまえば足が付くことだってある。それを回避するために高級車を手放す人は多い。一度こっちの仕事に使ったナンバーの車はナンバーを偽造して格安で闇市に並ぶのだ。それに王 のことだ、きっと担保なんかで調達しているに違いない。
「俺は前のガヤルドのが好きだけどな」
後ろに袋を積み込んで助手席に座る。場面に似合わない陽気な音楽が鳴り響く車内。王 も手袋を外して運転席に入ってくる。
「あれのほうがいいですか?ならこれは売り払いましょうか」
エンジンをかけて走り出した。加速が気持ちいい。マセラティも悪くないなと思いながらもやはりガヤルドがいいと言う。
「ん、あの白いヤツな。あ~でも汚れるか」
「仕事用はどうせすぐに変えてしまうんですから大丈夫ですよ。ガヤルドをプライベートに使えば汚れもそれほど気にならないでしょう」
「それもそうか。ついに俺らも車二台持ちか~」
車ならランボルギーニが一番好きだ。ウラカンとガヤルドが同じくらい好きでその次くらいにアヴェンタドール。
軽い仕事にはバイクの方が都合がいいので二人の駐車場にはバイクが一台、車が一台あるのが普通だ。バイクも勿論足が付かないように短期間で乗り換えている。
「もし本当にプライベート用で車を用意するなら貴方が好きな車種を探しますね」
「おう、サンキュ」
さっきまでの光景を忘れたのか、二人は笑顔だった。車内は生臭い血の匂いが充満しているというのに何も思わないようでお気に入りの歌を口ずさんでいる。
大体帰り道は20分程度だ。首都高速を走ればもうちょっと早いのだがああいうのも証拠になったりするらしいので王 はいつも下道で帰っている。
「飴ちゃん食う?」
「傻子 、この臭いの中でよく舐めていられますね」
王 は苦笑いしハンドルを切った。慣れてはいるが食欲が沸くかといえばNoだ。鉄と汚水が混じった臭いが喉の奥の方まで染みわたって下手をすれば吐き出しそうだ。その状況で甘ったるい飴を舐めていられるガルを尊敬する。
「バカじゃないです~。俺は天才です~」
「はいはい…」
ガルが帽子をダッシュボードの上に置いた。二つの歯車と二本の羽根がついたシルクハットだ。二本の羽根がウサギの耳のようだから彼はこれを気に入っている。そして同じブランドのモノクルを王 が使っているから余計に好きだとも言っていた。そのことを思い出して王 は微笑んだ。
「どした?」
「いいえ。なんでも」
王 は幸せだった。こんな仕事をやらなければ生きていけない時代でも些細なことで幸せは感じられるのだな。
気が付けばもう見慣れた景色の中を走っていて、家は目の前だった。雑居ビルの前に車を止めて外に出ようとするとガルが引き留めた。
「うぉんはこのまま乗ってていいよ。どうせ車庫に入れなきゃだろ?俺がこれ上にあげとくから先車庫入れて来いよ」
「いいんですか?じゃあそうします」
エンジンをかけなおしガルが袋を運び出すのを見届けた後、アクセルを踏んだ。駐車場はぐるっと回って裏側にある。人だけが行くなら扉一つで行ける距離ではあるが車やバイクでは大きく回り込まないといけない。
交差点を曲がって回り込むと地下駐車場の入り口がある。私とブラッドローズの職員用の駐車場だ。一番奥に止めてドアを開けた。ブルーシートを丸めてごみ袋に入れる。もちろんブルーシートを捨てただけで臭いはなくならない。車内に消臭スプレーをかけるが効果は無いようだ。細かいクリーニングは売り払うときに考えるとしてせめて匂いだけでもどうにかしなければ。隙間なくブルーシートを敷いておいたおかげで血痕などもなく綺麗だ。こんな仕事に高級車を使うのはどうかと思うが別に車が高くても安くても仕事には関係がない。安くボロボロの車でなめられてあおり運転をされるよりは高級車でいた方が今の日本は走りやすいかもしれないとまで思う。
――ガルは屋上に運び終わっただろうか?離れるとすぐに思い浮かぶ顔が愛しくも憎くもある。つくづく私は彼に依存しているのだと自覚させられる。そんな自分がどうしようもなく嫌だ。嫌だと思っているのに彼を思い出している時間は幸福感を感じてしまう。それが余計に嫌だ。
溜息をついて屋上に向かうことにした。急勾配の階段は私にとってつらいものがあるが欲張りばかりできるものではないので諦めている。昔は体が強かったが私が体を労わらなかった時期があってこのありさまだ。息を切らしながら屋上まで上がるとガルは丁度クロロとホルムに餌をやっているところだった。クロロとホルムというのは私が飼っている二匹のワニの名前だ。
「うまそうに食ってるぜ」
「そうですか、それはよかった。新鮮なうちが一番おいしいですからね」
空になった袋を見れば何をしたがわかるが、これが掃除屋の仕事。今朝きれいに掃除したはずの水場が血に染まっている。これはこれできれいに見えなくもないが後でまた水を入れ替えておこう。
「てか上ってこなくてよかったのに、疲れるだろ」
「いえ、一応見ておかないと」
ガルは私が体を悪くした経緯をすべて見ている。そのせいで気を使わせていることが何より嫌だがこればかりは自業自得としか言えない。薄ら汗をかいていつもより息が荒い王 を見てガルは手を差し伸べる。
「おぶってこうか、下まで」
「はは、からかわないでくださいよ」
自嘲気味に笑う。ぐらりと揺れる感覚がした。なけなしの自己肯定感を握りしめて振り切ったがガルは真剣な顔をしている。
「知ってるよ、うぉんはこういうの嫌いだって。でも顔色が悪いように見えるぜ。今日朝まで営業してたんだろ?もう日が暮れてんだ、疲れてるだろ」
「………、支えてくれるだけでいいですよ」
――やさしさが胸にしみて痛い。気を抜いたら涙が零れ落ちそうだ。
ガルが王 の腰に腕を回して支えながら階段を下りた。その間二人は無言だった。地上一階につくと王 が身を捩って腕の中から逃げていく。
「ありがとうございます。私はそろそろ店を開けないといけないので行きますね」
「まじかよ、一日くらい休めって」
ガルの言葉を聞き終わる前に地下へ降りる階段へと降りて行った。ガルはその背中を見送ることはしたが引き留めなかった。生き急いでいるように見えた。初めて会ったときは死に物狂いで藁にも縋る勢いで生きているような男だったのにいつから死へ向かって走るようになったんだろうか。
嫌な予感がする。汚れた服を着替えてから店へ行こう。新しい酒も入ったと言っていたしそれを口実に行けばいいのだ。
「倒れんなよ…」
ガルは足早にクローゼットへ向かった。
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